心を開くことも必要だし、心が閉じることも必要

心を開くことは良いこと? 心が閉じるのは悪いこと?

こんなような話をよく聞きます。

  • (なんらかのセッションで)心を開いたら、いじりまわされた。
  • (なんらかのワークショップで)心を開かないからダメなんだと言われた。

心を開くことも必要だし、心が閉じることも必要。


「自己開示しなさい」「感情に触れなさい」「心を開きなさい」というと言う人は、人をコントロールしようとしている状態なので、そのような人の前で心が閉じるのも正常な反応とも言えます。なぜなら、心を開いたらコントロールされる可能性が高いからです。(なぜそんなことが起きるのかについては、セッショニスト向けの講座で扱います)

※セラピーの流派・流儀によっては、善意であれば洗脳(本人の意思に関係なく心を操作する)と同じことをしてもよいと教えているところもあるそうですが、通常のセラピストは本人が望まないことは善意であってもしません。

家のドアを外からこじ開けようとする人に対しては、ドアは開けないですよね。

ですので、冒頭の「心が閉じていると言われた」というケースは、閉じてよかったのかもしれません。必ずしもそのワークショップのせいではないかもしれないのですが、心が閉じるには閉じるなりの理由があると思うのがよいでしょう。(他にどんな理由があるかはPoints of You 実践講座にて)

心を開かなければ得られない成果というものはあります。しかし、心を閉じることも必要な機能かと思います。

「Don’t think. Feel!」は必要ですが、それを命令する人の前ではfeelしない方がいいかもしれません。

結論としては、「心を開け」と強制する人の前で心が開かないのは正常。心が閉じてしまったら、こじ開けようとする人ではなく、開けても大丈夫な人を探しましょう。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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