立派な人が、人を癒すわけではない。

ときに、人は癒しのために、あるがままの自分を否定しない人たちを必要とします。気分障害(ウツなど)のリハビリ施設での経験から思うことを書きます。

たとえば、「朝、家を出ようとすしたとき足が動かなくなり、出勤できなくなった」という人がいます。それを人に話すことは難しいかもしれません。話すと批判されますから。「俺だって、会社に行きたくない日はあるよ。それでも毎日頑張っていってるんだ。みんな頑張ってるんだ。あんたは甘えている」と言われます。精神科医ですら、そんなことを言う人がいます。だからなかなか言えません。

そんなことも話せる場があるのはよいことかと思います。

理解されたり、肯定されたりすると、ちょっと嬉しいかもしれません。ですが・・・

「そういう”フツーの会社行きたくない状態”とは全く違って、本当につらいんだ」と叫んで、「そうだよね」って言ってもらうと癒されるのでしょうか? たぶん、それは違うと思います。

「そうなんだよ。私は甘えているんですよ。たしかに心が弱いんですよ。世間様が言うように社会に迷惑をかける人間のクズなんですよ」くらい言えた方がいい。そして、「あはは、そうなんだ。こっちにきて、一緒に食べようや、遊ぼうや、手伝ってくれや」と言ってもらって、癒しがはじまるのだと思います。

立派な人が、人を癒すわけではありません。ある意味で、道を踏み外したことがある人が人を癒すのだと思います。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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