怒ることができない人の世界観は暴力的

怒りを表現することが抑圧されている人がいます。

「私、怒れないんです」と自覚している場合もありますし、冷静な顔でしか「怒ってます」と言えない人もいます。

そういう人は穏やかと言えばそうでもありますが、世界観が暴力的とも言えます。

心理セラピーの現場で、「このクッションに怒りをぶつけてください」と指示すると、「人を殴るなんてできません」と言ったりします。「人を殴れ」なんて言ってないのですが。

つまり、怒りを出すこと=人を傷つけること、となっているわけです。

「怒りを出すけど、人を傷つけない」という世界をもっていないのです。

「怒りを出すと、暴力的になる」と思い込んでいますが、深層心理の真実は「暴力的だから怒りを出せない」となっていたりします。

古いテレビアニメ『エスパー真美』の「くたばれ評論家」という回では、画家であるパパが評論家に酷評されて怒る場面があります。しかし、パパ曰わく、「彼には公表された作品を批評する権利がある。私には怒る権利がある」。真美は超能力を使って仕返しをしたことを後悔するのてす。

怒りという感情は自発的に発生します。そのエネルギーを何らかの形で出す。これを怒りの解放と言います。セラピーでは、心の問題解決のためにしばしば行われます。

怒りを解放しましょうと言うと、「じぁあ、これから相手のところに言って文句を言ってやります」と言う人がいます。それは、解放ということを勘違いしています。むしろ真逆です。

あるいは、素人が心理セラピストの真似をして、クライアントに怒りの解放を促すと、暴れ出して手がつけられなったなどの話も聞きます。これも解放ではありません。

心の旅を適切に経験していないと、そのサポートはできません。心理学を勉強して知識に自信のある人が「心理セラピーのデモを見学すれば、自分にできる」と豪語するのを聞きます、そのようなことを言う人に怒りの解放を見せてもらうと、必ず勘違いしています。

なので、これは人から人へと伝授されるものと思います。


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