感情の悩みは、生物的自分と社会的自分の間にある


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心理的な悩みの根本解決(気を紛らわすとかの対症ではなく)をめざすとき、「葛藤」ということが起こります。葛藤は問題ではなく、解決プロセスなのです。ですので、ドラマ(名作映画など)では葛藤を描くことが肝とされているわけです。

王族や英雄が主人公のドラマはともかく、現実的な個人の悩みの場合、葛藤は「生物的な欲求」と「社会的な要求」の間で起こることが多いです。

社会的な要求と言っても、実際に社会が要求しているというよりは、社会を代弁したかのように自分自身が要求しています。

おおまかには、このような感じです。

生物的な欲求: 「痛いものは痛いんだよ」(生存のための危険シグナル)

社会的な要求: 「収入の少ないのは悪だ」「人に嫌われてはいけない」(評価・裁きへの恐怖)

心理的な悩みを解決するために、これらを両方を捉える(感情の悩みは、生物的自分と社会的自分の間にある所有する感情の悩みは、生物的自分と社会的自分の間にある)ことがまずは必要です。

「自分に正直に」とか「自分を大切に」とかの、多くの教えは、生物的な欲求を捉えることを勧めているわけです。社会的な要求の方は、わりと顕在化していることが多いので、それで両方が捉えられて、ちゃんと葛藤できるよってことですね。そのプロセスに寄り添うのが、基本的な心理カウンセリングの1つです。

心理セラピーで、特定の症状(対人不安とか、必要以上に遠慮するとか、自信がないとか)を改善するには、もう少し深いところを扱います。社会的な要求と名付けたそれも、実はもとはといえば生物的な欲求から刷り込まれています。たとえば、「収入がないと生きていけない/痛い目にある」「人に好かれないと生きていけない/痛い目にある」というような何かがあるのです。そこに何十年間も隠れている感情を所有して解放することで、「社会的な要求」を解除します。

それをするとダメ人間や非社会的な人間になってしまうのではないかと心配する人もいますが、どういうケースが解除した方がよいかというのは膨大な事例によって既に調べられているのです。また、ご本人が何を望んでいるかを確認してからセラピーを開始するので、なんでもかんでも解除するわけではありません。人生を不本意なものにしているニセの正義、その人にとっての不必要なものを解除してゆくのです。

ちなみに、解除をするのはセラピストではなく、ご本人です。勝手に解除されてしまう心配はありません。ですが、自分の代わりに解除してくれるわけでもありません。セラピストは最短コースをガイドします。痛い目にあいながら試練を学ぶ代わりに、必要な葛藤だけを癒しに晒していただきます。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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