見通しをよくすることにも誇大広告にも使われるエビデンスですが、情報を吟味するときに、天使のエビデンス、悪魔のエビデンスを区別しています。(この呼び方は半分冗談ですが)
天使のエビデンス
自らの実践をより発展させるために、実験結果やデータを活用とするエビデンスの使い方。
たとえば、PEという手法について「PE単独での成果と、PE+CPの組合せた場合の成果を比較する実験を行い、PE単独の方が成果が高かった」という研究結果が得られているそうです。これはCPの価値を否定してPEの有意性を示すための研究ではなくて、PEにCPを統合した方がよいかを判断するための研究です。この結果により、標準としてPEにCPを統合しないことに決めたそうです。
手法の良し悪しではなく、手法の得意分野を調べたり、組合せ統合の道を探ったりするためのエビデンス研究です。
あえていうと、エビデンスのない経験則に従ってPEにCPを組み合わせて行っている実践家がいても、それをやめさせるのが目的ではないということです。
まだ解明されていないだけで、PE+CP+Xにより成果が出ているのかもしれません。
Xに相当するのは、たとえば心理教育(なんらかの説明)かもしれませんし、セラピストの属性かもしれません。
悪魔のエビデンス/エビデンス警察
自らが支持する手法が優れていて、他流が劣ることを主張するためのエビデンスの使い方。
または、エビデンスのない手法や知見を否定することを目的としています。
エビデンス・ベースド・アプローチの利点として手法の淘汰を挙げているのも、こちらの影響かと思います。
良いものを作るためではなくて、他者否定をモチベーションとしています。
効果があるか効果がないかの二分に終始するのが特徴です。
ただし、限られた予算のもとでの政策決定などはエビデンスのないものを却下することの意味はあるかもしれません。多様な心理支援を均一化へ向かわせることとは事情が違います。
なにと比べるか
天使のエビデンスの典型的なものは、手法の現バージョンと新バージョン候補の効果を比べるという形をしています。手法に新たな要素を加えたり削ったりして、効果が上がるか下がるかを調べるわけです。
悪魔のエビデンスの典型的なものは、「この手法にはエビデンスがあります。そっちの手法にはエビデンスがないでしょ。だからこっちのほうがよいのです」というような形をしています。「当スクールではエビデンスのある手法を教えています」というような宣伝もちょっと悪魔っぽい影響を受けていると思います。
エビデンスがないことを否定しない
手法Aの効果を検証してもエビデンスが得られてないけれど、手法Aで上手くいく人たちもいるということがあります。そのような場合は、もしかしたらA+Xに効果があるのかもしれません。A単独で効果が検証できなかったからといって、A+Xの可能性を潰す必要はないでしょう。
たとえば、ひきこもり支援であまり上手くいかないと言われるある(エビデンスがない)アプローチが、元ひきこもり当事者が行うと上手くいっていると聞いたことがあります。その実践を尊重していれば、いずれ元当事者の何が良いのかわかり、元当事者以外の支援者にもヒントを与えるかもしれません。
心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーションにはいろいろあるが、そのひとつが道徳をふりかざして人を裁くというものだ。
『NVC 人と人の関係にいのちを吹き込む法』p.40, M.B.ローゼンバーグ
参考
心理セラピスト