心理セラピーの理論に正しいもなにもない

科学者になりたがる心理学者

心理学には「科学になりたいコンプレックス」があって、心理学者さんたちが正しいかどうかの議論をしています。

集団心理や反応の法則みたいなものは、統計的に調べて、法則として成り立つかどうかを研究するのは経験科学になるでしょう。

ですが、心理セラピーのための理論(臨床心理学?)については、正しさを議論するのは勘違いだと思います。

心理セラピストは科学者ではない

かつて自然科学を学んだ理学部出身の私からすると、心理セラピーは科学を超えるものだと思います。

また、自然科学の妥当性に比べれば、心理療法における科学的検証なんて研究者の意図を反映しすぎです。

心理療法について、「〇〇理論の有効性は近年疑問視されている」とか言ったりするのですが、それでも、その〇〇理論で幸せになっている人もいるんですよね。

自然科学の「酸素と水素は1:2で結合する」とか「動物と人間の祖先は別である」などは、正しいかどうかを問題にできるでしょう。

ゲシュタルト心理学は正しいだろうかとか、フロイトの理論は間違っているとか、どうでもいいことです。

心の悩みや苦しみは、測定対象となる物質などの実態がないからです。

目的は「正しさ」ではなく「幸せ」

心理セラピーの方法とか、そのための理論は正しいもなにもないのです。

たとえば、私はカウンセリングで交流分析の脚本分析なんかを使います。たとえば「幼少期に身につけた生存戦略が現在の悩みのもとになっている」等と説明したりします。

で、ある意味では、それが科学的に事実かどうかなんてことはどうでもいいんですよ。

もちろん、ただの偏見だったり、まったくのデタラメではよくないですが、人間の一面を捉えていれば十分に使えます。

心理セラピーの目的は「科学であること」ではなくて「幸せになること」ですから、ヒントになればいいのです。

「交流分析をあてはめると、こういう説明になります」ということに対して、「あ、どうなれば幸せになるかわかってきたぞ」とか「うーん、私の悩みはそういうことではないんだよなあ」とかの反応を起こして、幸せへの鍵を探してゆくわけです。

つまり、理論やメソッドが有効かどうか、ではなくて、それを使ってみたらどうなったかを捉えるのが心理セラピストの仕事でしょう。

システムを変えようと努力してみなければ、鍵は見つからない

クルト・レビン

「正しさ」と「正直さ」は異なる

研検証データがないのに「検証データがある」と説明したらいけないでしょう。

精神分析や交流分析の理論を使うときは、「一説によると」という立場をとります。

セラピストの経験からの判断であれば、「私の経験によると」とか「だと思います」と言うのがよいでしょう。(クライアントの自己判断能力と信頼関係を前提に、テクニックとして、あえて断定的な言い方で刺激することはあります)

心理セラピストは科学的に正しいことしか言わないと思わせることこそ有害だと思います。

研究データも、クライアントに当てはまりそうな一説も、クライアントに役立ちそうな経験や勘も使います。

専門家と当事者は目的が異なる

正しい理論やメソッドを仕入れて売るように、効果のあるメソッドや正しい理論を担いでいるセラピストもいますが、それは「セラピーの小売店」ですね。習った通りにやれば効果が出るみたいな手法もあるので、それはそれでいいと思います。

ですが、当事者が生きている世界は、「私にとっての幸せ」の探求です。理論やメソッドは正しいかどうかというよりは、使えるかどうかでしょう。

当事者にとっては当たり前のことですが、専門家は「私にとっての幸せ」よりも「正しいか」を大事にすることがあります。

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