いまどきの認知行動療法と感情力動アプローチを比べてみる

認知行動療法なんかは標準化されているので、再現性がわりとある。精神力動アプローチやゲシュタルト療法は臨機応変なので、再現性がない。

なので、あなたのお悩みが認知行動療法(狭義)で解決できるなら、そちらをお勧めします。医療保険適用で費用も安くなるかと思います。

今回は、いまどきの認知行動療法(やや広義)とKojunがやってる感情力動アプローチをあえて同じテーブルにのせて比べてみましょう。

そもそも認知行動療法の定義があやしいので注意

以前は認知行動療法といえばベック博士が提案した認知再構成法(自動思考に気づいて修正してゆくような実践)を指していて、それを私は「狭義の認知行動療法」と呼んでいます。

ところが、最近は認知行動療法を「研究によって効果が実証された心理療法の総称」という定義がされています。これを「広義の認知行動療法」と私は呼んでいます。

ただ、これだと、以前から精神力動アプローチや人間性アプローチや仏教瞑想で行われていた手法も、効果が検証されたとたんに、「あ、それも認知行動療法です」となってしまいます。

それをもってして、認知行動療法は進化しつづける、他のアプローチよりも優れていると主張するのは、いかがなものでしょうか? へんだと思いませんか?

それを「論理実証主義」と呼ぶなら問題ないですが、「認知行動療法」という名で特定の手法を指すかのように錯覚させるのは、暴力的なプロモーションだと思います。

ここでは、やや広義の認知行動療法と、Kojunのセラピーを比べてみたいと思います。

認知行動療法はこんな感じ…らしい

私は認知行動療法(狭義)は提供しませんと言っていますが、実はかつてグループ討議しながら6カ月間の実践トレーニングを受けたことがあります。なので、それが役に立つことがあるのは知っています。

昔の認知行動療法は、つらい感情反応が出たときの自分の認知の癖に気づいて、それを客観的視点で修正してゆこうというものでした。たとえば、「嫌われているにちがいない」→「嫌われているかどうかはわからない」、「失敗したら終わりだ」→「失敗しても死ぬわけではない」といったように。

で、いまどきはもうちょっと洗練されているようでして、認知を自動思考、媒介信念、中核信念の3段階くらいで捉える流派があるようです。

とくに認知行動療法の発展形とされるスキーマ療法は中核信念を扱うので、Kojunの心理セラピー(後述の感情力動)とよく似ているようです。スキーマ療法は認知行動療法がベースと説明されていますが、実際には認知行動療法、精神力動、感情焦点化などの統合アプローチです。

※以下、実践家の方から聞いた情報を私の解釈で説明します。認知行動療法の標準ガイドラインの要約ではありません。

自動思考というのが、感情反応を引き起こしている「嫌われているにちがいない」などですね。そして、その奥にあるのが中核信念で、「私には価値がない」とか「私はいないほうがいい」とか「人は信用できない」とか、もっと普遍的で長期化している信念です。

で、自動思考は簡単に変えられるけど、すぐに戻ってしまう。中核信念は見つけたり変えたりするのが難しいですが、変えることができれば戻ることはないです。ですので、(それがスタンダードかはわかりませんが)できるだけ中核信念の変化を狙うのが最近の認知行動療法でも意識されているらしいです。

力動アプローチがガチ深層心理なのに対して、認知行動療法は浅い(意識に近い)ところを扱う浅層心理セラピーが特徴なのですが、自動思考ではなく中核信念を狙うとなると深層心理に近づいてきます。

この中核信念に変化を起こすというのは、Kojunの心理セラピー(力動アプローチ)でやっていることでもあります。が、なにが違うのか、を書いてみます。

中核信念の捉え方が流派によって違う

多くの流派では中核信念は論理療法創始者エリスの irrational belief や認知療法創始者ベックのスキーマ(自動思考の奥にあるもの)を指しているようです。これは間違った信念とか、不適切な信念といったニュアンスです。それを「正そう」というわけです。もしくは「柔軟になりましょう」ということです。

Kojunの心理セラピーで扱う中核信念は、エリスやベックのそれではなくて、エリックバーンの交流分析で禁止令と呼ばれるもの[1]交流分析や禁止令の解説はこちら。『TA TODAY – 最新・交流分析入門』イアン・スチュアート、ヴァン・ジョインズ著に近いです。交流分析の禁止令は「人を信じるな」とか「私には価値がない」などの否定文で表される数十種類のものが知られています。これは「不適切な信念」とか「認知の歪み」というよりは、幼少期に身につけた生存戦略のようなもので、その人を守ってきたものというニュアンスがあります。

その人の中にあるなにかが反応パターンに影響するという意味では理論の構造は似ています。

ですが、認知療法が「正す」のに対して、Kojunの感情力動的なセラピーは「肯定することによって成仏させる」みたいな感じになります。そのコツは「正さないこと」ですので、「症状を治したい」「手柄をたてたい」治療者/セラピストには向いてないんですね。

たとえば「目上の男性が恐い」という主訴であれば、認知療法では「目上の男性は怒鳴る」という思い込みに気づいて修正します。「目上の男性が怒鳴るとはかぎらない」とか「怒鳴られても実害はない」とか。

ですが、中核信念が幼少期の父親に怒鳴られた原体験とともに刷り込まれていた場合は、そう簡単ではありません。そこには悲しみや怒り、恐怖の抑圧があると、それらを扱わないかぎり認知の修正は逆効果になったりします。

感情を扱うアプローチの成功率はあまり高くないのかもしれませんが、その代り、一生変わらないかと思われるような人が変わったりします。

もはや理性に頼ってられない、おもいきったことをしなければ、というような深刻さを感じている人向けのマニアックなアプローチです。「心の風邪」みたいな人は相談に来ません。

逆に言うと、Kojunのところに相談にくるような人は、認知療法くらいなら自分で出来ちゃいます。「目上の男性が怒鳴るとはかぎらない」とか「怒鳴られても実害はない」とか、そんなことはとっくに分かっているのですが、認知を修正しようとするほど悪化するわけです。根本原因を解消すれば、自動思考ならぬ自動認知療法が働いて、認知療法なんかしなくても、かってに認知の修正が起こります。

感情に触れる

もうひとつの違いは、ある種の中核信念の変えにくさに関係します。

中核信念を見つけるところまでは、認知行動療法を拡張すれば出来るかもしれません。しかし、見つけることとはできても、変えることは難しいかもしれません。

認知行動療法は基本的に「(自分の認知の非合理さに)気づけば変わる」という世界観です。

「非合理なのは分かってるけど、変えられないんです」というお悩みが、本当の深層心理です。たとえば、「失敗するのがこわい」の奥に「失敗は許されない」という中核信念を見つけたとしても、意識の力でそれを変えられるかということです。

Kojunのクライアントが扱う中核信念は隠されているだけでなく、触れることが難しく、変更に対しても強い抵抗があります。

どれくらい抵抗があるかというと、親から虐待をうけて「親なんか死んでせいせいしたわ」と思っている人に「親に愛されたかった」と言わせるくらいの抵抗があります。

中核信念を見つけるのは「セラピー事前相談のカウンセリング」で出来ちゃうことが多いです。それで解決すれば、「心理セラピー(Kojun対面)」は必要ありません。

つまり、心理セラピー(Kojun対面)では、強い感情(過去の感情)とともにロックされている中核信念を扱うわけです。それは認知行動療法の創始者ベック博士がいう「認知の歪み」でもないし、エリス風の不適切な信念でもなくて、その人が命がけでみにつけた大切な生存戦略です。

そこで、感情力動アプローチでは感情に触れるワークをすることになります。

ただし、それには心理的な抵抗があります。それはセラピストとのラポール/信頼関係くらいでは太刀打ちできないほどの抵抗である場合があります。いわゆる「抑圧」というのがそれです。その抑圧が解けて、感情が解放されて、たとえばしっかり泣くことができたら深層心理まで変化する[2]カタルシスとも呼ばれることも。というのが力動アプローチです。

紙と鉛筆ではなく、オンラインシステムでもなく、生身を使います。

実はクライアントは自分の自動思考やその奥にあるものが悩みの原因であることにはとっくに気づいていて、認知や論理のレベルでは変えられないから相談にくるのです。

なので、感情のワークをクリアできれば、認知行動療法的な部分はクライアントさんが自分で勝手にやりのけてしまいます。認知の癖に気づいて修正するなんてことくらい、もう何十年もやりつづけていたりします。

で、この感情のワークは手順どおりにやっても上手くいきません。大学で学ぶ心理の専門知識よりも、自分の宿命や現実と闘い統合してきたという人生経験が問われます。ですから、クライアントは「心理師さんのところでやったときと、感情の出かたがぜんぜん違いますね」と言うのでしょう。

信念の奥にもうひとつある

上に述べたのは、感情の抑圧が関係しているということですが、それと似たもひとつ、中核信念の裏理由というのもあります。たとえば、「失敗は許されない」という中核信念が見つかったとして、「なぜ許されないのか」という背景です。そこを癒さずに「失敗してもいいよ」とか言ってもダメなのです。

原体験のイメージワークでは「失敗したら親に叩かれる」などという言葉が出てきますが、ほんとうのカギは叩かれる恐さではなくて、反撃したら親が怪我をするという恐怖だったりすることもあるのです。虐待被害トラウマの奥に、親を必死に守っている幼少期の姿が隠れていたりします。ですから、親の攻撃から身を守る癒しなのか、親を救えなかった自分を許す癒しなのか、真逆ともいえるセラピーの方向性を柔軟に判断する必要があります。

これは、「クライアントの歪んだ認知を正す」という認知行動療法のルーツ思想では届かないところです。「それは歪みではない」ということが発見されるまで、その歪みを許し続けるセラピーによって届くところです。

力動アプローチは、クライアントのもつ歪んだ部分を肯定的に受け止める必要があります。この感情のワークをするには汚れたセラピストが向いているような気がします。「優秀なセラピスト」になりたい人は向いてないです。

認知行動療法は「統計学的に有効性が証明された」ものとして流行っています。

「統計的に有効性が証明されていない療法でも、それをやり続けているセラピストやクライアントがいるということは、それにはなにか大切な意味があるんだろう」と思うことができないようなセラピストにとっては、クライアントの中核信念、認知の歪みに対して「それにはなにか大切な意味があるだろう」と思うことも得意ではないでしょう。

というわけで、感情力動アプローチは認知行動療法よりも当たり外れが多いかもしれませんが、認知行動療法が届かないところにまで届く可能性があります。

歪みを直すのか、歪みを肯定するのか、というアプローチの違いがあります。

諸説あるようですが、認知行動療法の改善率は7割くらい、力動アプローチは4割くらいと言われたりします。私のざっくりの印象をあえて単純化すると、これらの数字は次のような感じにみえます。

心の悩みのある人たち100人のうち70人くらいは、自分の認知の癖に気づいて意識すると改善する。すなわち、認知行動療法の改善率は7割。

一方で残りの30人は、「気づいているけど、意識の力では変えられない」という人たちです。たとえば、暴力被害で男性に近づけない人は「男性はおそろしい」という認知の癖が自分にあることや、認知行動療法的な論駁「すべての男性がおそろしいわけではない」などはとっくに気づいていています。それでも男性に近づけないわけです。つまり、それは根っこが認知の歪みではなく、トラウマである場合などです。

そのような30人は、認知行動療法に失敗する、もしくはやっても無駄だなと直感します。その一部が力動アプローチにたどり着くことになります。

力動アプローチはセラピストとの相性の当たり率(クライアント側の慣れも含めて)が半々くらいかなあと思います。つまり、一人目のセラピストで練習して(もしくは相性の問題に気づいて)、二人目のセラピストをしっかり選んで成功するなど。私のところにくるクライアントも「セラピスト2人目です」という人は多いです(有名じゃないんで^^;)。すると、力動アプローチの改善率は5割以下だったとしても不思議ではない。

数字は適当な例ですが、認知行動療法の改善率は7割くらい、力動アプローチは4割くらいというのは、手法の優劣を表しているというよりは、後者の方が難しいケースを担当しているという意味に思えます。そのことは、このブログ記事と照らすと分かり易いのではないかと思います。

改善率などの数値で心理療法を評価して、効果のない手法を淘汰撲滅しようという考えが一部の研究会や専門家ブログにものっているようなのですが、うーん。あなたはどのように判断するでしょうか。

脚注[+]

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