人生の中で出合う、物事や出来事。どれくらいの割合で理解できると思いますか?
大抵のことは理解できると思いますか?
理解できることなど殆どないと思いますか?
理解できることは何割くらい?
それは、理解できない物事に対する態度で増減するように思います。
理解できない物事に出会ったとき、理解するように努力すれば、割合が高くなる? 私はあまりそうは思いません。
理解できない物事に出会ったとき、それを存在しないことにすれば、理解できる物事の割合は高くなります。人は理解できないことを無視することで、その理解できる割合を高めるということをしています。
理解できない物事も理解できないままあるがままに観るようになると、理解できることはかなり少ないことに気づきます。
カウンセリング中に「わかります」「知ってます」というセリフが多いと、心の問題を解決できません。なぜなら、解決の鍵は「理解できないこと」にあるからです。
心理セラピーともなると、「理解できないけど何故か起きていること」に注意を向けてゆきます。
分かろう、分かろうとすると、何かが分かりますが、問題は解決しません。(たとえば、対人不安の原因は分かりますが、対人不安が治ることはありません)
カウンセリングでは、分かること、気づくことを重視しています。
セラピーでは、分からないけど起きていることに注意を向けて、心の問題を解決します。
心の問題については、分かることがしたいのか、解決がしたいのかを決める必要があります。最初は分ることがしたいと思います。ひとたび自分が何を解決したいか分かったならば、分かろうとするのではなく解決しようとすることをお勧めします。
カウンセリングにより何を解決したいか分かったならば、セラピーで解決をしましょう。セラピーの目的は原因探しではなくて、自分を変えることです。
たとえばインナーチャイルドを扱うセラピーの場合、傷ついたインナーチャイルド(内なる子供、子供の頃の自分)がみつかったら、それを癒したり救済したりします。目の前の傷ついた子供を傍観して、「これが原因ですね」などと言っている場合じゃありません。そもそも、そのように共感なく他人事として放置されたからインナーチャイルドは傷ついたのです。
分かることを目的にすると、解決はしません。