認知行動の先生が精神分析の先生を叩く

精神分析の先生と認知行動療法の先生の間でありがちな討論を書いてみます。

認知行動療法の先生(以下、CB先生)は思想だのが嫌いで実証研究が人を救うと信じています。(すべての認知行動療法家がそうではありません)

で、CB先生は精神分析の先生(PA先生)に言います。「で、けっきょく精神分析で治るんですか、治らないんですか?」

PA先生はプロセスを大事にしていて、治ればよいといいうものではないと思っています。たとえば、暴力被害にあったクライアントでいえば、悪夢、対人不安、男性恐怖症という症状が消えればよいというものではありません。

それをなかったことにするのではなく、ちゃんと扱うこと、本人による意味づけポストトラウマグロースや、克服の過程でどれくらい自分や世界を大切にできるかということを重視します。

CB先生から「で、けっきょく治るんですか?」なんて言われると、PA先生は「治すことが目的ではありません。その精神分析してゆくこと自体が大切な体験となるのです」と言ったりします。

CB先生は驚きます。「な、なんと。精神分析が目的ですと!? 心理療法は治すための手段のはずでしょうが!」

CB先生の解釈によると、PA先生の精神分析は手段が目的化しており、それは精神分析家の自己満足以外のなにものでもない! そのことを精神分析家が口を滑らせて白状したぞーっとなります。

PA先生は感情あふれてしまい・・・・

あるあるです。

CB先生が精神分析を嫌うのにもわけがあるようです。昔の精神分析は権威主義だったようですし、無駄な原因論をつつくだけだったりということがあり、科学のメスで裁きたくもなります。

そのようにして心の専門家たる先生たちは憎しみの連鎖を続けてゆきます。

だから、選ぶ側の当事者がしっかりしないと。

米国の医療保険制度-(中略)精神医療に対しては受療制限などによる医療費抑制の締め付けが千代衣。その影響もあり、昨今長期間のセラピーは補償対象とならず、短期間で表面的な結果が出る認知行動療法系のアプローチが歓迎される傾向にある。

『ヤーロムの心理療法講義』の訳注(岩田真理)

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