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「正す」と「赦す」アプローチ

対人支援(カウンセラー、相談員など)プロ向けの講座をしていると、「プロは何が違うのですか?」と聞かれることがあります。

いろいろありそうですが、心理セラピストやカウンセラーに関して言えば、「正す」以外のアプローチ「赦す」を知っているということを挙げてもよいかもしれません。

たとえば、水泳のクロールでなかなな進まないという場合、「それは肘が伸びてないからですね。肘を伸ばしましょう」と指示して解決するというのが「正す」アプローチです。

何が問題かを特定して、その問題を取り除きます。

精神医療もそんな歴史をもっているようです。普通ではない人=病気として、何が問題か=「何が普通の人と違うのか」を特定してそれを直そうとします。

このような表面上の変化のために設けられた今ひとつの社会施設は精神病院である。(中略)その問題というのは入院患者は自身では正しい判断が出来ないので、彼らのために医師やスタッフがそれをやってやる必要があると考えられていることによって完全に見のがされてしまっているのである。

『変化の原理 問題の形成と解決』ワッラウィック他

※まあ、世の中の渦を引き受ける病院等の現場を批判対象として一般化するのも極論だろうとは思いますが。

また、古典的な認知療法でも、「その人がウツになりやすい原因は完璧主義である」というようなことを特定または推定して、完璧主義をやめるように促します。私のデイケア患者仲間の間で言われていた実感では、これが上手くいくケースは概ね半数くらいでした。[1]研究データでは7割と聞いたことがあります。

この例でいうと、プロが知っている「赦す」アプローチというのは、「その人が完璧主義にならざるを得なかった理由を大切にして、そこに隠れた何かを癒す」ということになります。つまり、ウツになるほどの完璧主義は何かを必死に守っているのかもしれない。その必死に守っているものを救済することで、完璧主義が必要なくなるというようなプロセスになります。

もしくは、「それは本当に直すべきものなのか」という視点も持ちます。これも「赦す」アプローチになるでしょう。

この世の中、ほとんどの人が「問題を特定して直す」ことが解決だと強く思い込んでいます。その思い込みから自由になっているというのは、対人支援のプロの方々に共通の特徴のように思います。

なお、「プロは「正す」アプローチをしない」とは言っていません。状況やテーマによって使う場合もあります。

それを身につけるには知識のお勉強ではなくて、いかに知識が通用しないかを体験する必要があります。公的な機関や省庁では、カウンセラーの品質底上げのために知識、知識と言っているそうですが、さてそうだろうかと疑問を感じます。こちらは、知識がある人がプロだという見方ですね。

もし、なんとかしようとし続けている長引くお悩みがあるなら、解決法として「正す」アプローチばかり試していないか、考えてみるのもよろしいかと思います。

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