ちゃんと泣く

ネイティブアメリカンの儀式でも、心理セラピーでも扱われる原始的な感情について。

原始的な感情である、「怒り」「恐い」のルーツは、身を守るためのものでしょう。戦うために血流を増やしたり、隠れるために血流を減らしたりね。これがない種は滅んだことでしょう。

もう一つの原始的な感情である「悲しみ」は、なんのためでしょうか。

私の空想によると、北京原人などの人類亜種が滅んだのは、もしかしたら泣けなかったからではないかと思ったりします。

簡単にいうと、立ち直るためみたいなリセット機能のようです。よい意味で諦める(その場合「諦めました」という言葉もいらなくなる)といいますか。私は「ゼロ化」と呼びます。抑圧による無感情とは違います。カタルシスとも呼ばれます。

「怒り」が戦う、「恐い」が隠れるだとすると、「悲しみ」は観るです。現実を観るために、それまで使っていたフィルターが落ちます。

頭で考えて、「こういう状態だろう」と、それを再現することはできません。この文章を読んだからといって、何もわからないし、何も観えないと思ってください。

ちゃんと泣いたことありますか? 今ここにいることが鮮明になり、リアリティだけが五感を満たすような体験があります。ただし、ちゃんと泣いた場合だけ。

参考

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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