なかなか伝えられないけど、伝えたいこと

人からよく「あなたは伝える使命があるんでしょ」と言われます。クライアントから言われたこともありますし、夜の街で朝まで一緒に遊んだ不良女性からも言われました。

私にとって、ずっと、伝えることは好きでもあり、大変なことでもありました。

人が気づかないことに気づいて、伝えたら叩かれて、理解されなくて。

その難しさは3つ。

  1. 真実は叩かれる。抑圧との闘い。
  2. それは言葉と体験の狭間にあって、簡単に表現できない。
  3. 伝えるべき内容がより深みを増して、自分自身がついてゆけない。

それは突然に体験される。

恐怖症が解けたときの、その大丈夫な感じを言葉で説明することは難しい。しかし、それは曖昧なものではなく、はっきりとした真実。

愛着不安定が解けたときに、世界が変わって見えたことも。

弱さをおそれる必要がなくなったときのことも。

まず、結論だけが解る。しかし、説明ができない。

それはセラピーでクライアントが体験することと似ている。

それは幼児が初めて学校に行くとき、泣くほど怖かったものが、平気だとわかることに似ている。

それは死ぬことにも似ている。

それは私がなぜ女装するのか説明できないのに似ている。

私はそれが真実だと知っているのだけど、説明する言葉がない。

子供の頃から、ずっと叩かれてきた。

「いずれコンピュータオタクでない人たちもインターネットを使うようになる」と言った時も、「僕は女なんだ」と言った時も、「不登校やメンタル疾患は正しい」と言った時も、あなたは嘘をついていると言った時も、たくさん叩かれたり、聞こえないふりをされてきた。

私自身もそれを話せなくなった。ハッキングされて記憶を消されてしまうように。

人間は真実を観る力がない。

せいぜい瞑想して、悟ったふりをするくらいしか。

でも人類は分担して真実を観ている。

それを持ち寄ることで、言葉から隠された真実が見える。

言葉は人の中にあるものを引き出す索引にすぎない。

大丈夫だということを、伝えられるようになりたい。

個人セッションでは、よくそれが起きる。

クライアントは言葉で表現できない真実を観る。

それでも、少しずつ言葉にして、書き残せるなら書いて、語れるなら語ってゆきたい。

そのために、女装もしたし、お祈りもしたし、堕落もしたし、失ってもきた。

これまで伝えることができなかったこと、伝えられるようになるといいな。

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