セラピーの適切介入

カウンセリングやセラピーでの「介入」とは、ちょっと話の腰を折ったりすることを指します。

たとえば、「本当の問題は何か?」という介入があります。

前提として、人は本当の問題を偽の問題にすり替えていることが多いということがあります。

たとえば、「営業成績を上げるには?」という相談テーマ。本当の問題は「営業職がイヤだ」ということだったりする。

その本当の問題を隠したまま、「営業成績を上げる」ための相談を進めても、苦しくなるばかり。あらためて自分に嘘をつくためのセッションになります。

本当の問題が自覚できたら、営業職をやめられなかったとしても、本当の癒やしには近づくでしょう。(セッショニスト自身が自分の気持ちに嘘をつくことで頑張っている人の場合はそうはなりません。それも相性ね)

だから、「それは本当の問題?」と確認したりします。

全肯定的ではなく、介入的になるのです。

適切介入を目指すか、不介入寄りかは、スタイルの選択になります。

このあたり、講座の受講者から質問されるところですが、正解を探すというよりもスタイルの選択であり、スタイルの違いを知っておくことが答えになるかと思います。

それぞれ長短あるわけです。

不介入は「押し付けない」ということを優先したものです。「聴くカウンセリング」というものですね。

ですが、適切介入も、セッショニストのアドバイスの押しつけとは違います。偽の問題「営業成績を上げたい」こそが、何者かに押しつけられたものであり、それを肯定的に傾聴することは、一緒になって押しつけることでもあるのです。

しかし、本当のところは本人しか知りえません。

なので、自分を疑うところまで寄り添うというのが、適切介入ということになりそうです。

「それは本当の問題じゃないかもよ」という問いを投げかけながら、それを一緒に受け止めるのです。

ですが、全肯定ムード(不介入スタイル)で対応することで、クライアントが安心して自分で勝手に自分のテーマを疑う勇気をもつなんてこともあります。

セッショニスト(カウンセラーやセラピスト)を選ぶヒントは、適切介入スタイルの場合、「解決してあげたい」(手柄を立てたい)が強すぎないこと。不介入スタイルの場合は、「クライアントと仲良くしたい」(対立を避けたい)が強すぎないこと。

どっちでもよいですが、それぞれにセッショニストの課題も違ってくるわけです。

適切介入スタイルの場合には、さらに「適切」がどういうものか、クライアントによって違うという難しさもあります。

隠れたものに目を向ける勇気に共感する、隠れたものに目を向けることの難しさに共感する、目を向けることができない自分を許す勇気に共感する。どれもロジャーズ流の共感とは違うばかりか、その選択を間違えただけで失敗します。

アプローチが失敗したときに対応できるのも、よいセッショニスト(カウンセラー、セラピスト)だと思います。

手応えによって共感ポイントを変えるだけのバリエーションスキルが前提です。一辺倒のスキルしかなく、それがハズレの介入になったとき、クライアントは支援への絶望を重ねます。それも相性です。

適切介入を目指すと、解釈が入ります。解釈とは、それが仮説に過ぎないことを自覚していて決めつけないもの。仮説のズレを調整してゆく柔軟性が必要で、ある意味ではセッショニストも傷つくことを受け入れます。

講座の受講者さんたちを見ると、対人支援プロはその傷つきを受け入れている人が多い印象です。そして、受け入れてるほど、過剰介入はしない傾向があります。すなわち、その身の丈を知った自覚が、適切介入に近づくわけです。

そのようなプロの方々は、「あんたは何も分かっちゃいない」と言われて、真摯に受け止めてきた人たちなのかもしれません。

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