生きる意味がほしい人へ

「生きる意味」がほしい、知りたいという言葉を聞いたことがあります。「生きる意味がみつかる」とか「生きる意味はあります」という書籍やセミナーは人気があります。

苦しんでいます。私もかつて経験したことがあります。

会う人、会う人に尋ねてみました。「生きる意味ってなんですか?」

苦しんでいな人、人生を楽しんでいる人、自分の生き方に満足している人の答えは、「人生に意味なんかない」でした。

当時の私は、その答えを聞いて、なんだか恐い感じがしました。「意味がないなんて言わないでよー」といった感じです。

私はこれを「人生に意味がないと生きていけない病」と名付けました。

自分の存在にかかわるトラウマ(交流分析では《存在してはいけない》禁止令と言ったりします)や、愛着不安定などの深層心理によって、自分の存在が否定されていると、生きることが辛くなります。それを補うために、「生きる意味」が必要になってくるのです。

これは、「自己実現欲求」に似ていますが、実は違います。

「生きた証を残したい」とか「自己実現したい」ではなくて、「意味がないなら生きてはいけない」というルールのようなものが深層心理に刻まれているのです。

その場合、「生きる意味」を見つけることで楽になることはありません。その意味がないと生きていけないので、楽しくてやっているわけではありません。本当にやりたいことが判らず、やるべきことを頑張ります。ただ楽しむことができません。それも生き方ですが。

「生きる意味があるよ」セミナーは永久リピート客を得ることができるわけです。(このテーマに限ったことではないですが、欠けているものの代わりを提供すると、根本が解決しないのでビジネスにはなりやすいです。しかし、根本解決を求めるニーズは満たしません)

「意味がなくても生きていい」を手に入れると別世界です。自分に対してそれができると、他者の存在にも寛容になります。人を裁いたり、評価したりすることなく、ただその人の存在を愛することもできるようになっていきます。

心理セラピーでは、わりと短期間に結果がでるテーマです。

ただし、似て非なる「意味がなくてもいい」はとても危険ですのでご注意を。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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