必要以上に怒る人は、必要なときに怒れない

必要以上に怒る人は、必要なときに怒れない。というようなケースがあります。

人は怒るとき、何かの危険や不安を感じています。

怒りはそのリスクに対する対処なのですが、その恐怖に負けてしまうとリスクが何なのか見えなくなることがあります。

その状態をKojunは「怖れ」と呼びます。

「あー、あの人のことかぁ」と他人を思い浮かべるのは、あなたに怖れがあるからです。このヒントは自分事として読みましょう。

怖れ、すなわち恐怖に負けるとは、恐怖を感じることではないです。多くの人は「恐怖を感じること」が「恐怖に負けること」だと思っていますが、逆です。

恐怖に負けないとは、適切に恐怖を感じることです。

漫画『ゴルゴ13』で「恐れているのかね?」と訊かれた軍人が「はい、プロですから」と答えました。

「笑っていいとも!」の生放送を半世紀続けたタモリさんは、「本番開始のとき毎回緊張する」と発言しました。

恐怖に負けていると、リスクが特定できないので、必要以上に怒ります。味方にも怒りをぶつけます。

恐怖に負けていると表現するのは、そこに「支配されやすさ」があるからです。それは「必要なときに怒れない」という形で表れます。

もちろん状況によって、支配に甘んじるのもサバイブです。「怖れ」を恥じることはありません。

しかし、自覚は自由への道です。

自分の怖れや、不要な怒り、必要な怒りは何なのか知ることができると、人生の後半への準備が少し進みます。

参考

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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