過保護・過干渉という拷問

心の病について調べると、原因として「過保護・過干渉」という言葉がしばしば書かれています。

過保護というと”甘やかされれて育った、甘ったれた人”というイメージがあるかもしれません。

過干渉というと、”なんでもやってもらえて、苦労を知らないから、怠け者になった人”というイメージがあるかもしれません。

ここでは、ちょっと違った視点を提供します。

「あなたはこう考えてるんでしょ」
「こう思わないといけませんね」
「あなたに必要なことはこれです」

などと言われると、すごく反発を感じる人があるかと思います。

その嫌な感じの奥を探ってみると、「怖い」などの感情が隠れていたりします。

「やってあげるから、お前は考えなくていい。何が正しいかは、私が知っている」
「何も言わなくていい。お前が何を欲しがっているかは私が決める」
「うれしいよな」

これは、甘やかされている・怠けさせてもらっているというよりも、自由を奪われて拘束されている体験です。

自分で考える、試す、失敗もする、という体験を禁止されている状態ですが、これは本来は楽なものではありません。

こんなのを想像してください。

 あなたは、手足を縛りつけられて動かせない。口にはガムテープを貼られている。
近くにいる誰かが、勝手に”正しい”判断をして、あなたの気持ちを勝手に決めて実行する。
痒くても、その”正しい人”が痒いと思わないから掻くことができない。
「ハンバーグが食べたんだよね」と言われて、ハンバーグを口に入れられる。
その”正しい人”の考えに反論を訴えてはいけない。
(反論すれば、ますます拘束が解かれる可能性は無くなる)

気持ちの主体性を奪うスタイルの攻撃や支配はミスティフィケーションと呼ばれたりもします。

実際に拘束されないと、その気が狂いそうな感覚は分からないかもしれませんね。想像・実感できない人は、他人が拘束されているのを想像しています。他人ではなく、あなた自身が拘束されているのを想像・実感できるでしょうか。(これが想像・実感できるというのは、人間として大事なことです)

著作者: krzysztof.szmytkiewicz

手足の自由を奪われるだけでなく、判断や思考の自由も奪われているのです。気持ちの自由も奪われます。

自分の考えや気持ちを言えなくするには、口にガムテープを貼らなくても、返事をしないなどの無視によっても実現できます。「うれしい」と言ったら、「そうだね」と言ってもらえる。それ以外のことを言ったら、無視される。それは強制的に「うれしい」と言わされているのと同じです。

口にガムテープを貼られた状態で、何年も過ごせば、やがて自分の考えや気持ちが言えなくなってくるでしょう。あるときガムテームを剥がされても、必死に主張するけど何が言いたいのか分からないなんてことになるかもしれません。

手足の自由を奪われて、「大丈夫、お前に必要なことは私が知っているから、お前には手足はなくていい」とされたら、どんなにおそろしいか。

身体を拘束されなくても、同じような影響を与えることはできます。

これが、過保護・過干渉がつくりだす世界ではないかと思います。

本人の心を軽視して、養育者の思い通りに愛したのです。

※補足:ただし、「過保護・過干渉への問題意識」 ≠ 「親への恨み」 ≠ 「怒りの受け入れ」

過保護・過干渉が原因だとすると、甘えた根性を叩き直すのがよいとする意見もあります。雑誌記事でそのようなコメントをする医者・医院長もいました。

ここでは違う視点を提供します。

問題は甘えた根性ではなく、抑圧された感情「恐い」「悲しみ」であることは十分あり得ます。

支配的な養育を受けた人は、支配されやすくなることもあるし、支配に敏感になることもあるでしょう。(両方もあり得る!)

生活や仕事の中で、「私は絶対正しい」という態度の人と接する機会は多分にあります。そのときに拘束の恐ろしさや悲しみを無意識が感じていたとしたら、恐怖で力が入り身体はヘトヘトになり、職場や人から余計なストレスを受け、自分の意見はすぐ諦め、なんだか人を恨みたくなるとしても不思議ではありません。

なにげない日常場面を、その人の体は拷問のように感じている。

また、自分で考えて、自分で試す、そして失敗したりもする、ということを奪われたために、考えることや試すことが苦手になったりすることもあります。

その恐さを感じて解放することができれば、無意識の拷問は架空のものとなっていきます。

心理セラピーは、そのような感情アクセスと出来事への反応パターンの変更を支援します。

そして、セラピー体験を重ねると、自分でもできるようになってきます。ショッキングな出来事があっても、それを、自分の制限外しに変えることができるようになります。その出来事を振り返ると、あまりショッキングではなく感じる。そして、今までより可能性を広げて考えられるようになる。そんな自己セラピー体質になってゆくのです。

支配的な養育を受けた人は、「自分は過保護・過干渉で育ったから、甘ちゃんだ」と思っていることも多いようです。それでは自分の能力を見失います。

メンタル不調のことを調べたりしていると、「過保護・過干渉が原因となることがある」とさらっと書かれているのを見て、自分を責めることになったり、目を背けて安易な自己肯定モドキになったりします。

何が起こっているのか、深く探ってみましょう。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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