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立ち止まること

10年前にニューヨークで通りがかりに入った教会があります。最近になって、それが有名なセント・パトリック大聖堂だったと知りました。『英雄の旅』のジョセフ・キャンベル博士も特別な場所として紹介しています。

旅行中に通りかかり、観光案内もなく、入ってよいものか不明でした。ですが、とにかく入ってみたのです。とにかくこの建物に入ってみなければと思ったのです。体が勝手に動くようでした。

和式作法で敷居をまたぎ、入りました。独特の不思議な空気でした。もう一度訪れでも、同じ体験はないと思います。

ベトナムの教会に集まる大勢の人たち、アユタヤの遺跡で独り座って瞑想する宝石商の知人、これらの記憶にも何か似たような気配を感じます。

私が住んだことのある広島では、お寺を訪れ適当な場所で勝手に座禅することができました。通りがかる僧侶は手を合わせて挨拶します。県内にある曹洞宗総本山の影響かもしれません。

すべてに共通しているのは、立ち止まるということ。マインドフルネスのデフォルトモードのように、一切の積極的判断を保留することができます。それは、怖れ(防衛のために攻撃したり、バイアスのかかった思考をしたりする状態)から一歩外れるために、やはり必要なことかと思います。

講座・ワークショップでは、立ち止まる時間を提供してゆこうと思います。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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