グループセッションでの自己開示

一連のグループセッションを終えました。ご協力方々や参加者のおかげさまで、大変もりあがりました。

グループセッションで、よく一部の参加者が言われること。「心を開きたい、自分を開示してみたい、でも抵抗もある。でも、今回は大丈夫な予感がして来てみた」

何を話すか話さないか、ご自身で判断していただいています。どこまで開くかも。

で、あたたかくて、たのしかったと。

わたし、以前、生きづらい悩みをもつ人たちの自助グループイベントにも参加してきました。そこには慎重な工夫がありました。数分間、誰も喋らないこともよくあります。

集団療法と称したグループワークで、人が心を閉じるのも見ました。

一方で、サバイバーのワークショップでは、とくにガイドラインもないけど、お互いを傷つけない人たちというのを見ました。鎧をもたない人たちは、お互いをどのように扱うでしょうか。

一般向けのワークショップでも、やたらと自己開示をせまると何が起きるかも見ました。

大事なテーマに正面から向き合っている人が、心を守ろうとするのは当然と思います。開示にはリスクがあります。

一方で、やはり一人ではできないことがあります。

「安全を保障するから、開示しなさい」というのではないです。

つながるって、こういうことですよね、という体験のガイドです。

リスクのある中で、私たちはいかに手を取り合えるでしょうか。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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