LGBTQの社会心理(被害者・加害者・正義)

心理セラピストによる LGBTQ・SOGIE ガイド
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※記述や情報源の選択には私見が含まれています。


心理セラピスト的に気になる光のような闇、闇のような光について書いてみたいと思います。

差別を禁止すると差別が見えなくなる

差別を悪として否定すると、差別している人は「これは差別ではありません」と主張します。これは人間が持つ「合理化」という防衛機制がはたらくためです。

差別がなくなるためには、差別が自覚されなければなりません。

差別が全否定されている環境下では、差別している人が差別していることを自覚できません。

自覚できなければ、人間は差別と向き合うことができません。

自分が差別していることを認めたら土下座させられる風潮の中で、自分の差別に気づいてゆくことは困難です。

ですので、差別するという選択肢があることは、差別がなくなるために必要なことなのです。

「withコロナ」みたいな「with差別」と言えばニュアンス伝わるでしょうか。

覚せい剤依存のネガティブキャンペーンをすると覚せい剤依存の重傷者の数が増えることや、若者のセックスを罪悪として吊るし上げると妊娠を相談できずに自殺する少女が増えることなどと似ています。

「あがるな」「ひきこもるな」「未成年は妊娠するな」、すべて裏目に出ています。

正しいことを言っていては、差別はなくなりません。

LGBT理解増進法案に「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されない」という文言が追加されたそうですが、これにより差別の解消は難しくなると思います。

ペナルティで人の価値観・思想を変えようとすると代償が発生する

罰則によって差別を解消しようとするのも、世の受容を遅らせることになると思います。

徹底した恐怖による独裁政治でもない限り、
「罰せられるから差別しない」という表面的な差別解消になります。

Yahoo!ニュース

LGBT(性的マイノリティー)の人への理解を促す法案をめぐり、慎重論が根強く了承を見送っていた自民党は、24日に再び審査…

このニュースでは「差別禁止法より手前の理解促進法ですら」と表現されてきますが、私は「差別禁止法」よりも「理解促進法」の方が進んでいると思います。(細かいこと言うと、理解する必要すらないのかもしれませんけど)

「理解促進」は差別する理由をなくそうとするものですが、「差別禁止法」は差別しない理由をつくろうとするものです。

「トランスジェンダーを不採用にすると差別だと騒がれる」というのを恐れて、書類審査で落とされたり、本音で話し合わずに不採用のための茶番面接をされてしています。

私も以前は「変わった人ですね。でも、いい人だ」と思われていましたが、最近は「人権を主張する面倒なアレですね」と警戒されるようになりました。

職場で差別されながら人権を振りかざして闘って勝って、周囲から仲良くしてもらうようになったという事例はみたことがありません。甘いです。

暴力事例も見てきた心理セラピストの私に言わせれば、差別禁止したところで、人を排除したり殺したりする方法はいくらでもあります。

裁判で権利を勝ち取ってゆくというアプローチも同様です。

これらのアプローチは、被害者であることを武器に攻撃に転じますので、ドラマ三角形による憎しみの連鎖のリスクがあります。

「虐めたい差別」と「排除したい差別」

これは虐め被害の悩み相談(DV・虐待以外)でもそうなのですが、差別とか虐めの状況について、加害者の心理を推し量ると2通りが考えられます。これらの見誤ると大変なことになります。

ひとつは「虐めたい差別」で、これは自分よりも下の者がいることで安心したり、人を支配したり困らせたりすることを楽しむ心理です。たとえば、外国人労働者が自分よりもたくさん働いての報酬が少ない、弱い立場であるのを見て「あー、日本人でよかった」と安堵したりなどがそうです。少年たちがホモ狩りと称して同性愛者をリンチした事件もこちらです。「可哀想な人が好き」というのもこれの亜種です。

もうひとつは「排除したい差別」で、これは加害者が差別対象者を恐がっている場合です。職場にLGBTQがいると気持ち悪いというような場合は、なにかしら恐がっているということが多いです。精神科医や大学教授が在野の心理カウンセラーを恐れて否定するのもこちらでしょう。

「虐めたい差別」は公共や数の力で戦う必要があります。法律で禁止するのもその一つです。「虐めたい差別」の加害者たちは力、権力に弱いです。

「排除のための差別」に関していうと、恐がらせない方法があれば平和的な解決の可能性があります。また、「排除のための差別」の加害者たちは力に抵抗します。恐怖で恐怖を封じ込めることは難しいのです。

アメリカのウォールストリートで起きていた差別は「虐めたい差別」で、日本社会でLGBTQを苦しめているのは「排除したい差別」が主でしょう。

行政でやるとしたら

差別する人を罰するよりも、差別する人を恐怖症から救済しなければなりません。薬物依存と同じで、罰よりも治療ですね。

もし、「差別」を罰で抑止するのであれば、「差別」を悪として禁止するのではなく、「カギとなる具体的な行為」を禁止する必要があります。システム(罰則)が変えることができるのは、人の心ではなく、人の行動だけです。「差別」という抽象的なもの、思想を禁止せずに、具体的な行為の禁止でなければいけません。「おれはLGBTQが嫌いだけど、ルールだからこうしてる」と堂々と言える禁止ルールでなければ、失敗すると思います。


トランス女性のルッキズムサバイバル

ルッキズムサバイバル志向(美容や容姿で社会の受け入れを勝ち取る)のトランス女性がひとつの定型になりつつあります。

これは世間がトランス女性を受け入れるか排除するかの基準として、容姿を判断基準に取入れていることが関係しています。就活では、容姿がわるければ5秒で社会から抹殺される体験をします。雇用や職場というのはライフラインですので、そこで事実上容姿を要求されるということは、「美しくないなら死ね」と言われているようなものです。

「美しくなければ社会に受け入れられない」

自分を楽しむ美容ではなくて、恐怖にかられた美容。

ルッキズムが恐怖に動機づけられていると、他のトランス女性にもルッキズムを強要したくなります。

容姿のわるいトランス女性を吊るし上げる「MtF警察」も現れました。

このような現象を心理では「シャドウ」と言います。自分のもつ恐怖が他者に投影されて、その相手を許せなくなります。自分の影に対して嫌ったり攻撃したりしているわけです。(この場合は「同族嫌悪」とも言われます))

シャドウの連鎖

「中途半端なトランスジェンダーがいるから、私たちまともなトランスジェンダーまで変態扱いされるのよ。いなくなれ!」というのは、「性的マイノリティが職場にいると、会社全体のイメージが悪くなる。いなくなれ!」というのと、よく似ていることに気づくかもしれません。

差別される恐怖が差別を生む。差別というのは、連鎖するわけです。

手術済みのトランスジェンダーが手術しないトランスジェンダーを攻撃するというのも当事者の間ではよく知られていて、それも同じ心理メカニズムと思われます。

在日ハーフの人たちが在日フルの人たちの悪口を言うなんていうのも似ています。医者に劣等感をもつ心理師が占い師やヒーラーを馬鹿にするのも似ています。

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を思わせます。

ルッキズムサバイバルの傾向をもつ当事者は「クオリティの高いトランスジェンダー」というような言葉を使います。

これまで美しいトランス女性たちの活躍によって、世間の嫌悪反応が緩和されきました。その功罪として、トランス女性=ルッキズムサバイバルという定式がうまれたわけです。

ちなみに私は、LGBTQという概念が浸透する以前から女装をしていて、「変わった人」として50%くらいの人たちに受け入れられていました。無理に男性として生きていたときよりも自然になって人間関係はよかったです。

最近は事務仕事するのにもトランスジェンダーらしい美醜を要求されるようになってしまっています。(笑)

なんでも医療の市場になる時代、「トランスジェンダーになるための費用 = 約1000万円」みたいな時代になっています。就職面接で5秒で抹殺されなくなるために、まず1000万円必要なのです。

それも若いうちにやらないといけないって、学歴社会を思わせます。

「手術はしてもいいし、しなくてもいいんだよ」という声も当事者の先輩たちからちらほら出ています。

差別被害者の強化サイクル

マイノリティの弱みにつけこもうとする暴力に対しては戦ってきましたが、悪意のない人たちに対して、「俺様は被害者だーっ」と攻撃することは避けたいです。

まあ、足はよく踏まれます。可哀想な被害者になって足を踏んだ人を叩いていると、自分が被害者であることを証明するために足を踏まれにいく癖がついてきます。

「差別されている」という思いが強いと、それを証明するためにトラブルを引き寄せてゆきます。心理では「強化サイクル」といいます。

騒がれずに静かに暮らしたいという人たちもいる。本当の敵、この強化サイクルに巻き込まれない知恵だと思います。

当事者・アライの心理課題

性的にマイノリティであること自体は病理をもたないですが、マイノリティやアライにも心の課題があります。

心理課題1 不完全なものを叩く

法改正や制度改革に貢献した医者・行政担当・研究者は、その内容が完璧でないという理由で度々批判の的になっています。

たとえば、パートナーシップ制度が実現したときに「同性婚を諦めさせるための陰謀だ」との批判がありました。

性同一性障害者特例法(戸籍の変更)が成立したときには、「その条件設定が不完全だ」と貢献者たちは批判を浴びました。

社会の変化は一足飛びで理想に到達するものではないのですが、実際的な一歩一歩を担っている人たちが口先だけの理解者に叩かれるということが起きています。

心理課題2 望みが言えない

人は自分の望みを述べるのは難しく、自他を攻撃するのは簡単ということです。

「性同一性障害者特例法の条件を緩和してほしい」とは言えず、「性同一性障害者特例法を作った奴は悪だ」と言ってしまいます。

どうして欲しいかを言えずに、誰が悪であるかを言うという性質です。
 

心理課題1と心理課題2は実は連動していて、境界性パーソナリティ障害と共通の心理課題でもあり、克服可能なものです。

当事者が「完璧でない味方」「不完全な前進」に対してどう反応するかが、マイノリティの未来を左右するだろうと思います。

論者のコメント


私も高齢の政治家が「LGBTばっかりになったら国が亡ぶ」みたいな大ボケ発言をしたときに、正義のお面をかぶって叩く人を警戒したほうがよいと思います。心理セラピスト風に言うと、感情の使いかたを間違っているわけです。暴力には怒りを、無知には教育を、です。

 

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殆どの方が1~3回のセッションで満足されます。 「その症状や行動の下に隠れた根本原因を解消する」ことを目指します。 ご利…

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