親のメッセージに反発しながら従い続ける人生

たとえば「人目を気にしすぎる」「優秀でない自分を許せない」「新しいことに挑戦できない」などの悩みが人生レベルで続いている場合、親から引き継いでいる場合があります。

すなわち、人目を気にして指図する親、優秀じゃないと許さない親、新しいことに挑戦しようとすると止める親です。

それがどうも親の影響であることがわかったとしても、クライアント(相談者)はそれを止めることができません。

つまり、親の命令に反発しながら、親の命令に服従し続けているわけです。

心理セラピーでどのように解いてゆくかを書いてみましょう。

レベル1:怒りの抑圧を解く

まあ、こんな簡単なクライアントはめったに相談に来ませんが、一応説明のために書いておきます。

親(昔の親)を目の前にイメージして、はっきりと「嫌だ」と言う練習をしてもらいます。まあ、やりそこねていた反抗期をやりなおす、みたいな感じですね。

これは「怒ることは悪いことだ」という刷り込みが併存しているケースに有効です。ですが、その刷り込みがある人に「怒ってください」と言っても抵抗が起きます。その抵抗を解くのが心理セラピストの仕事になります。

また、ブチキレるのは効果がありません。ブチキレるのと怒りの解放を区別してナビゲートするのも心理セラピスとの役割です。「とくかく感情を出せ」で上手くいかなかった人は、ここが上手くいっていないケースが多いです。

パールズはこの点について次のように述べている:
御承知のように理想的な親などというものはいない。(中略)あなたの問題を親のせいにすることもできる。あなたが自分を両親から手離すことがよろこんでできるようななるまでは、あなたは自分自身を子供であると考えつづけるのである。

M.ジェームス、D.ジョングウォード『自己実現への道 ― 交流分析(TA)の理論と応用』p.129

この引用のように、理論上は「親のせいするのをやめる」ことが推奨されています。しかし、心理ワークでは逆のことをするのです。

「それは親の問題だ」として、それを引き継がないようにするのです。

Kojunの心理セラピーに申込んでくるクライアントというのは、とっくに「親のせいにするのをやめる」は済んでいます。だから、親ではなくて自分がセラピーを受けているのです。

次にやるべきことは「親の代わりに苦しむことをやめる」です。

レベル2:怒りの奥にあるものを救済する

標題のとおり親に反発しているのですから、その人なりに既に怒ってはいるのです。それでも解けない。

その場合は、その怒りの奥にある悲しみなどをしっかりと感情処理してゆく必要があるかもしれません。

「本当は悲しかった」というようなセリフを言ってみたりして、奥にある感情を見つけます。その感情には物語があったり、鮮明な世界観があったりします。単に「隠された感情」以上の意味をもつとき、Kojunはそれを 置き去りにされしもの(the left behid)と呼びます。

それは単に感情処理されるだけでなく、その意味の置き場/行き場も見届ける必要があるからです。ですから、このワークを「救済」と呼ぶこともあります。

レベル3:親の感情を処理する

Kojunのところにたどり着くクライアントはこのレベルが多いように思います。訪ねて来るまでにレベル1やレベル2は練習済みで、ワークがあるていど上達している人もいます。ですが、自分の感情がうまく扱えません。

かつての親になりきるワークをしてもらいます。親になりきって、不安を語ってもらいます。

たとえば「人目を気にする」であれば、親が人目を怖れているわけです。「挑戦できない」であれば、親が挑戦を怖れているわけです。

親になりきって、なぜ人目を怖れるのか、挑戦を怖れるのかを語ってもらいます。「世間が監視している」とか「挑戦して失敗したら取り返しがつかない」などの強迫観念のようなものが語られたりします。

このワークは一見すると、親の立場を理解して親を許すワークのように見えますが違います。(いや、職場の人間関係問題などでは、そのように使われることもあります。それは、心理セラピーというよりセミナー講師がやっています)

たしかに、その恐怖は親が持つ恐怖であって、自分が持つ恐怖ではないと気づくワークとも言えなくないです。

親の恐怖感情を引き継いでしまう現象をホットポテト理論とか言ったりします。熱いポテトを持ち続けることができない親が、子に足してポテトを投げ渡すというわけです。もともと親の恐怖だったものを子に肩代わりさせているわけです。心理セラピーでは、そのことに気づいて、親にポテトを返しちゃいましょうというわけです。

ホットポテト理論。通常はそのように教えられているかと思います。それはそうなのですが、もう一つの側面があります。

これは、親が感じている「世間が監視している」などの恐怖を意識化して味わうことで、恐怖を消化するワークです。(実はそれだけじゃないのですが、簡単のため)

つまり、親の気持ちを理解しても悩みの症状は解けません。ちゃんと恐怖を味わう必要があります。

つまり、自分の中の抑圧された親の中の抑圧された恐怖を処理する必要があるわけです。単純な抑圧(恐いけど恐くないふりをしている等)よりも複雑で奥深いのです。

やってみればわかることですが、ワーク後には人目の恐さをしっかり感じられるようになり、その人目の恐さに耐えられるようになります。ワーク前は、人目の恐さがあいまいで自覚しにくく、なのにそれに耐えられない状態だったわけです。

つまり、「人目が恐い」「人目が気になる」ということ自体は人間のもつ自然な性質の一つなのです。「人目が恐い」が問題なのではなくて、その恐怖と闘えないことが問題なのです。

ここでいう恐怖とは、自分の身を守るための健全な恐怖ではなくて、刷り込まれた恐怖のことです。

この場合、クライアントはセラピー後にありありと恐怖を感じながら、その恐怖になんなく勝ててしまう自分を発見します。そして慣れてしまい、それは恐怖でもなくなります。

少し深刻な場合は、ありありと恐怖を感じることで、成長が起こります。恐怖刺激によって不自由になる人生が、恐怖刺激によって自由になってゆくようになります。

これは、深層心理の処理をしてから恐怖刺激に触れるので、恐怖対象に晒すだけの暴露法とは異なります。また、恐怖対象に近づくような指示することも不要であることが多いです。

参考リンク

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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