目に見えないものを見るためには、眼に観えるものをちゃんと観ないとね。

目に見えないものを見るためには、眼に観えるものをちゃんと観ないとですね。

勝手な推測を、まるで観たことのように思い込んでいると、本当のことが観えません。

思い込みは真実を隠します。

よい推測をするためには、それが推測であることを自覚しないとですね。

 

「あの女性は網タイツで色気を演出している」

眼に見えているのは「網タイツ」。「色気を演出している」は推測。

脚の怪我を目立たなくするための網タイツかもしれません。思い込むことで、様々な可能性は観えなくなります。

 

「あいつは何も考えていない」

他人が考えているか、考えていないか、はたして観えるでしょうか。

推測することは悪ではありません。推測を観察だと思い込むことを避けたいのです。

「あいつは何も考えていないようにみえる」

おお、いいですね。推測であることを自覚しました。

そうすると、「私にとって」という前置きが観えてきます。

視野が「相手1人」から「自分と相手2人」へと拡がります。

二人の関係性というような、見えないものが観えてきます。

 
実践は(Post Not Found)で。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

\(^o^)/

- protected -