「無意識」という言葉は理解されていない

無意識という言葉の意味について確認したいと思います。

意識されることなく精神内界で進行する心理過程が無意識です。

自分の内面について自覚できる(意志によって意識化できる)範囲(前意識)と、できない範囲(無意識)があります。

無意識という言葉は、「自動車運転に慣れた人は無意識にウインカーを出す」というようにも使われますが、そのような指摘されたくらいで気づくような、単に自動化されているだけのようなものは、無意識の中でも浅いところにあって、前意識と言われたりします。

前意識よりも深いところに、指摘されたくらいでは自覚できなような「無意識」があります。

自分では自覚できていないことがあるかもしれない、と認める力は、Not Knowingと呼ばれるものに近いかと思います。「かもしれない」と仮に思ってみることができるという能力とも言えます。

その能力があるから、人は心理セラピストに相談したりするわけです。自覚はできなくても、理解はできるのです。

あまりにも抑圧や怖れが強いと、「かもしれない」と仮に思うことすらできません。

私は「いやー、ぜんぜん気づきませんでした。本当は私は悲しかったんですね。こんなに泣いたのは初めてかも」というように、人が抑圧を解く場面に何回も立ち会いました。

心が闇に覆われると、Not Knowingの能力が損なわれてゆきます。「わかってますよ」というセリフは闇です。「かもしれない」は光です。ただ、日常ではある程度わかっているつもりになってないと生活や仕事が成り立たないので、ここぞというときに光を発揮しましょう。

試練に打ちのめされたとき、人はこの能力が備わるのかもしれません。そう考えると、試練というのは人の成長に必要なものなのかもしれません。

心理セラピスト側もNot Knowingの能力を使います。心理セラピストなりに、ああだろうか、こうだろうかと推測はするのですが、「もしかしたら、違うかもしれない」という可能性を見つめるときがあるわけです。

クライアントのKnow Knowingの能力が損なわれているのかなと思いきや、実はそうではなかったなんてこともあるでしょう。

セラピストは何について「無知」なのかといえば、「クライエントの生きる世界」について無知なのである。だからこそ、「好奇心」に導かれ、「もっと深く知りたい」と想い、「教えてもらう」という姿勢になる。

『物語としてのケア ナラティヴ・アプローチの世界へ』p.97 野口祐二

クライアントもセラピストも真実を知らないところから、一緒に謎を解いてゆく感じになります。

実際に起きていることとか、やりとりへの反応を手掛かりにして、ご本人に探求してもらえるようにします。

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