「人目を気にしない」を目指すよりも

「人目を気にして生きる、人からどう思われるか気にして生きる、そんな生き方をやめたい」というご要望をよく聞きます。いいテーマだと思います。

一方で、「人からどう思われるか考えよう」と言う人もいます。ただ、「人からどう思われるか気になるようになりたい」というご要望は聞きません。「人目が気になっているのに、ちゃんと出来ない」というのはありますね。

「人目を気にしよう」と言う人は、他人に対してそれを要求していることが多いです。べき論的な深層心理の刷り込みをもっていると、他人にも強要したくなったりします。

同様の刷り込みをもちならがも、それが自分を幸せにしていないというようなことに気づいている人は、心理セラピーに挑戦しに来ます。

「人目を気にしないようになりたい」という方に提言です。「人目は気になるが、人目に支配されない」というのはいかがでしょうか。

あなたが本当に望んでいることは、「人目に支配されない」ことではないでしょうか?

もしくは、「人目を気にしない」と「人目が気にならない」だったら、どちらが本当の望みに近いですか?

心理的に目指す目標は、「人目を気にしない」のような否定命令形(Don’t ~)でない方がうまくいきます。

「人目を気にするな」と設定してしまうと、「人目を気にするのは悪いことだ」という自責ニュアンスが絡んできます。

「これだからセラピストは人を甘やかしていかん」という人がいますが、セラピストが自責を勧めないのは、甘いからでもなく、クライアントが心弱い人だからでもありません。多くの場合、自責だと上手くいかないからです。

たとえば、こんなことが起こります。

人目を気にすることを悪であると設定すると、人目を気にしている自分から目をそらすという自動反応が出てきます。これは自動なので制御できません。気づくことすら難しいです。「気づく」と「目をそらす」は正反対なので、「目をそらしていることに気づく」というのはとても難しいのです。「いいや、俺はストイックだから出来る」と言う人は、最も気づきにくい人です。

「人目を気にしている自分から目をそらす」という自動反応が仕込まれると、重要な「人目を気にしている件」を隠すために、重要ではない別の「人目を気にしている件」に気づくようになります。これは心の闇(無意識のあなた)が使うテクニックの1つで、トカゲのしっぽと呼んでいます。

50万円のへそくりを隠すために、バレるための5万円のへそくりを用意するようなものです。自己開示したフリをするために用意した(核心に触れないはない)赤裸々話のようなものです。

「人目を気にする」の場合ですと、たとえば、派手なファッションをすることにより、人目を気にしなくなったつもりになります。実は、「派手な奴だな」と思われることは浅い不安に打ち勝つことで、「ずるい奴だな」と思われるという深い不安から目をそらしていたりします。何が浅くて、何が深いかは、人によって違います。つまり、人生を支配するような決定的な「人目を気にする」は残しつつ、本質ではない「人目を気にする」への反抗が行動に表れることになります。

本質的な不自由が残ったまま、それを隠すためのさらなる不自由が起きているわけです。これは、人目に支配されている状態です。心理セラピーで本質的な心の解決をした人が、それにともない思いがけない様々な自由を実感するのは、こういったことがあるのです。

「人目を気にしないようにしたい」のか、「人目や自分の自動反応に支配されないようになりたい」のか、あなたはどちらでしょうか?

心理カウンセリングでは、ご自身が本当に望んでいることは何なのか、探求していただくことができます。思い当たることがあるかたは、カウンセリングをお勧めします。心理セラピーに挑戦するかどうかは、その後のご判断で。

勝者は自由で自然にふるまうことができる。彼は前もって決定された、融通のきかないやり方で反応する必要がない。状況の変化に応じて自分の考えを変えることができる。

M.ジェイムス/D.ジョングウォード『自己実現への道 ― 交流分析(TA)の理論と応用』p.6

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