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エビデンスに騙されるな(3)効果ってなんだ!?

「エビデンスがない」ことをするのは自己満足か?

「エビデンスのない心理療法をしている連中がいる。それは自己満足以外のなにものでもない」と言う心理師がいます。

私もエビデンスのない手法を使うことがあります。クライアントの望みを聞いて、提案して、クライアントがやってみたいと言って、結果にクライアントが満足する。実際に起きていることです。

クライアントが自分で選ぶ選択肢をエビデンスどうのと言って潰すのは誰満足でしょうか?

支援者の自己満足とは、クライアントが望みを無視することではないでしょうか?

効果の基準は?

心理療法の効果についてはどのような基準で判断されるのかも曖昧です。「これはエビデンスのある心理療法です」と言っただけでは、「セラピストがベテランかどうかに関わらず効果がある」なのか、「症状が治るだけでなく、幸せになります」なのか、「予後まで含めてのこと(効果が持続する)を含む」なのか、「完全に解決してはいないが、重要な一歩になったも含む」のか、それぞれの研究論文までみてみないと基準がわからないわけです。ユーザーにとっては口コミ情報と同じくらいの参考にしかならないと思います。

身体を対象として物理化学的に働きかける外科、内科、薬物療法などについてはこのような問題は大きくないかもしれませんが、心を対象とするものについては異なる評価概念が必要でしょう。

(不安や抑うつなどの尺度の)点数が下がったから治療効果があるなどというエヴィデンスの取り方は心理療法やカウンセリングにおいてはナンセンスである。

『心理療法の交差点2』第四章 若島孔文

誰にどんな効果が?

また、「効果があった」というのは何を指しているのかも知る必要があると思います。たとえば、PTSDに効果があったというのは、悪夢をみなくなったのか、フリーズしなくなったのか、人がこわく感じなくなったのか、人生に前向きになれた(Post Trauma Growth)のか。エビデンス検証というのは諸症状ひっくるめてアンケート測定することが多いそうです。

効果とはなんでしょうか?

たとえば軽度の多動症の子供に対して、「授業中に席を立つと、強烈な恐怖を伴う罰を与える」という療法はどうでしょうか? 科学的に検証すると「効果がある」と出るでしょう。実際に罰のオペランド条件付を用いた手法は教育分野などにあります。もっと言えば、「足を椅子に縛りつける」という方法はどうでしょうか? これも実際に行われていました。なぜそんなことが行われるのか? 「効果がある」からです。

「精神病の人の脳梁切断(ロボトミー)手術をすると問題行動がなくなる」という治療法はどうでしょうか? 科学的に検証すると「効果がある」と出るでしょう。そして実際に行われていました。

また、「誰に」効果があったのでしょうか? PTSDといっても、災害被害と暴力被害では性質が異なっているかもしれません。様々なケースに効果がある手法がエビデンス検証されやすいということになるでしょう。逆にいうと、個々の違いを丁寧に扱う手法はエビデンス検証されにくいと思います。

トラウマも○○症も多くの人の体験の総称であって、実はひとりひとり異なるものです。来談者(クライアント)が何を望んでいるかも様々です。

ウツなんて、家族の問題、仕事のやりがい、職務からのストレスなどなど様々な原因から起きます。解決方法も様々でしょう。

「効果」が全てではない

「効果」があればよいのか

たとえば、「多動症の子供の足を椅子に縛りつけると離席しなくなる」というのを検証すると、科学的に「効果あり」と実証されちゃうでしょう。

たとえば、非人道的で救済になっていないと批判されているロボトミー手術も科学的に「効果あり」と実証されて、ノーベル賞まで与えられました。
科学的とはそういうことです。
今日「科学的」とか「エビデンスがある」とか言われている療法も似たような印象をうけることがあります。

測定しにくい「成果」がある

葛藤を扱う心理セラピーのように、たとえ上手くいかなかったたしても次のステップへの気づきが多いセラピーもあります。「なぜ上手くいかないのか」ということが悩みを再定義して、本当に求めていること、本当の幸せへの道標となることがあります。

効果検証ではそなような成果は測れません。だらといって効果を期待せずにやるのも違います。

問いが、願いが変わってゆくのもセラピーの成果です。

「変えようと努力してみることで、鍵が見つかる」クルト・レヴィン(ゲシュタルト心理学)

「○○症を解消したい」という人が「自分を許したい」にテーマが変わるなど、とても深い癒し体験をもたらします。

エビデンシャリズムでは「症状がなくなる」ことを成果としますが、「幸せになること」「生きててよかったと思えること」などは成果として定義しにくくなります。

そうすると、「悪夢やフラッシュバックという症状が止まっても心の傷は癒されていない」などということが見逃されたりします。そのようなことは実際に起きていると聞きます。「症状を治す」目的は検証しやすいですが、「幸せになる」目的は因果関係が特定しずらく検証しにくいです。

心の問題は、何か大切なものを守るために継続していることがあります。ですので、それを治すことよりも、その大切なものを救済したり、良い意味で諦めたりすることが真のセラピーだったりします。

鬱、対人緊張、過剰な感情反応、だるい、気分が暗い、楽しめない、などの裏に本当の悲しみや愛が隠れていることがあります。「人が怖い。子供の頃に殴られたからだ」に対して、人が怖くなくなるセラピーをするとクライアントが違和感を訴えることが多くあります。それは、人が怖いのは、実はそうなることで家族を救っていたわけです。そうなると、「対人不安を治さなくてもいい」という自由を得ることが心の回復のカギとなったりします。治そうとしてはいけないのです。効果がある心理セラピーを良しとする価値観自体が、人を苦しみに閉じ込めていることもあります。殴られたトラウマを解消する名目で、セラピストやサイコロジストたちによって、さらに殴られていたというわけです。

準備効果というのもある

心の成長をともなうお悩み克服には、無駄のような寄り道が「それもまたプロセスの一部」ということがよくあります。

たとえば、人に言えない悩みというのもあります。家族の秘密、性暴力被害、罪悪感のある過去などなど、数十年間も誰にも相談できなかったというような悩みを打ち明けられるのが心理セラピーの現場です。

いわゆる治療期間よりも、誰にも言えない数十年間のほうが何十倍も長いのです。これは治療期間にのみ対象者に関わる支援職や研究者研究者には想像しにくい数十年間です。

人に言えない悩みを持つ人たちの多くが「信用できる人を探して、話す」という練習をしている段階にあります。むしろ専門家などに相談せずに生涯を終えるようとしている人もいます。

ある種の心理支援サービスは、「効果がある」からではなくて、「セラピストの人柄を確かめやすい」とか「セラピストを試しやすい」という価値もあります。「医師免許を持っているから、資格を持っているから、科学的だから信頼してください」とうのは業界の都合です。

それが治療効果のないナンチャッテ心理療法だったとしても、その人が初めて悩みを支援者に話せて、なんらかのワークをできたなら、それは数十年間をかけた大きな一歩であったりします。

効果のないナンチャッテセラピーとか、プロのオマジナイ師というのは、私はこの世に必要だと思っています。

その他の先行プロセス

治療効果はないけど、「心を開く」練習となる心理療法的ワークもあります。それはデリケートな人にとって、心を開くという実験行動であって、それもむしろ効果(変化)がないことが重要なのかもしれません。

某NLPや某コーチングなどで広義トラウマは解消していなかった人も、それらをやっていたおかげで、感情力動の心理セラピーのコツがすぐにつかめる人は多いです。

ときに素人っぽいセラピストに人気があるのは、効果がないことが求められているのかもしれません。心理セラピー事前相談をしていると、「いままでの心理セラピーは効果なかったけど、それらのおかげで準備ができてきた」なんてケースもよくあります。(私のところでは、期を熟して来る人も多いので、これはよく見かけます)

「自分を責めない」練習、そのための先行プロセスが必要な人もあります。

先行プロセスにすらなっていない心理支援サービスもあるかもしれまえせんが、私が悩み克服の当事者側として振返ってみると、いわゆるハズレだったサービスもよほど悪質でなければ殆どよい経験になっているように思います。

効果のない心理療法を制度などによって撲滅する発想は危険だと思います。

どちらかというと、避けたい寄り道は薬漬けのような「権威に従っていた」「妄信し続けた」や期間、悪い意味での依存、逆効果のために頑張りすぎる「強化サイクル」期間だと思います。

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