エビデンスが必要な領域
質問紙などの心理検査
質問紙心理検査は統計的な整合性や妥当性を使ってアセスメントの一助とするためのものですから統計的根拠を重視するのは当然です。
アセスメントは客観的(統計的)な検査、間主観的な対話、カウンセラーの経験などから成ります。
その中であえて大切な主観を捨てて統計的に視るのが質問紙心理検査ですので、「統計的根拠のない質問紙心理検査」は使いにくいでしょう。
ただ、統計的根拠をエビデンスと呼ぶのは誤解の元だと思います。
制度適用の基準
海外では政府がエビデンスのある療法についてガイドラインを示しているって話がありますが、海外では保険適用の基準としてエビデンスが使われるというようなことがあるようです。エビデンスのあるものだけが有効なわけではないですが、公的な資金を使ったり制度で支援するにはどこかに線引きが必要ってことですね。
先に書いたとおり「科学的に証明された」は矛盾した言葉であり、エビデンスは「保険適用するのが妥当である論拠」「薬を発売許可してよいほどの期待値があるとの論拠」であって、「科学的に正しい/正解である証拠」ではないわけです。
「エビデンス」によって療法や支援サービスを淘汰する考えには反対です。心理学者は科学を学んでいないので勘違いしていることがあります。
「海外ではエビデンスある手法を…だから日本もエビデンスで…」と言うとき、なんのためのエビデンスなのかといところが本末転倒になっていることがあります。
手法を育てるため
もう一つは、広範囲に適用可能な手順的な手法について、メカニズムが解明されていない経験則だから、せめて結果統計を出しておこうという真摯な態度によるエビデンスもあります。それはその手法の成長のためであって、本来は「エビデンスがないものはアヤシイ」と主張するためではなさそうです。
多くの人に効果があるということには期待もありますが、一方では誰がやっても同じことが起きる浅いアプローチの可能性も示唆します。
本来のエビデンス・ベースド・アプローチ
医療業界に「エビデンス・ベースド・メディスン」という言葉があります。医療は生物化学(物理化学の精密機械としての人体を扱う)ので、わりと科学的アプローチや統計的アプローチがなじみます。
ですが、心理となると物理化学ではなく、個人差が誤差ではなく個性なので、医療ほどはなじまないのです。
エビデンス・ベースド・メディスンは、エビデンスを鵜呑みにすることなく参考にし、患者の価値観と臨床状況をもとに判断するアプローチのことです。「エビデンス・バリュー・シチュエーションに基づくアプローチ」という名称にしたほうがよいでしょう。
ですが、これを誤解した人たちがエビデンスのみで善し悪しを判断する「エビデンシャリズム(エビデンス至上主義)」に陥っているようです。
さらに、この エビデンス・ベースド・メディスン も「正しさ」の追求から、「有益さ」の追及へと修正がされています。つまり、エビデンス重視の方々も、科学的かどうかと、幸せになるかは別のことと気づいたわけです。
そして、さらに科学と相性のよい医療分野でさえ、エビデンス・ベースト・メディスンの反省から、よりバリュー(個人の価値観)を重視する、「バリュー・ベースト・プラクティス」ということが言われ始めています。
「信頼が要」の時代に
エビデンス”のみ”を重視する人たちがいるのは、販促の影響のみならず、心理セラピストたちの人間としての信頼が弱くなってきてるということかもしれません。深刻な心の問題の諸分野で「信頼が要」と叫ばれてる時代ですが。
また、実体験をもたない心理支援者が増えていることとも関係しているかと思います。今日ではセラピーを受ける体験をせずにセラピストになる人が増えています。実体験がなければ、頼りになるのはエビデンス情報だけになるのもわかります。