プロフィール

当事者を診る専門家ではなく、当事者が見る世界の案内人
ネイティブ心理セラピスト Kojun
投影技法を用いたナラティブ・アプローチのワークショップやファシリテーター養成を提供してきました。
特徴
🌿得意なテーマ
- 幼少期逆境/人生の宿題を扱う
- 厄介な感情
- 広義トラウマ/存在の回復
🌿音声
1/fゆらぎ周波数分布の音声です。
- 「人を助けたい」からではなく、当事者たちが見せた「強さ/美しさ」に魅せられて心理セラピストになった(助けて欲しい人よりも、助かりたい人がくる)
- 心の自由がクライアントの共通テーマ(人生の足枷を外すなど)
- 成長支援的な側面が強い(無かったことにしたくない人向け)
- サバイバーは「専門家がいないと助からない存在」ではない。自力で克服した当事者を見てきた。その前提でのプロの支援者。
スキル的特徴
- 積極的技法/体験的技法が得意(傾聴や認知行動療法では物足りないクライアント向け)
- サバイバー・センスを持ち、クライアントの体験知と繋がる(暗黙知、関係性、存在感の質)
- 理系の学問的背景がある(トラウマや感情の神経科学的理解など)
- 「在野の実力」と「学術の分別」のバランス型。
主な技法
感情焦点化(EFT、再決断療法、感情処理法)/チェアワーク(ゲシュタルト療法、簡易サイコドラマ、セルフリペアレンティング)1/身体志向アプローチ/ナラティブ・アプローチ/投影的技法/トラウマ特化ケア(NET・PE・PVT)/多元的統合/他
主な理論
サバイバーの体験的仮説/コアビリーフ・人生脚本(交流分析)2/愛着理論・人格構造論/神経科学(計算論的脳科学3・ポリヴェーガル理論4)
学生時代は、人類の心の平和のためにと思い、神経回路網や人工知能を学ぶ。(30年後に心理学の基礎学問となるが、このときは早すぎた)
人々から「頼むから死んでくれよ」と言われながら生きる。
20代後半から、コンサル先の社長や任侠たちに呼び出され、彼らが必要とするカウンセリングを叩き込まれる。
感情調整不全・対人関係困難と闘いながら生きる人々と多く出会い、その人生パターン5に精通し、交流分析の下地ができる。
複数の臨床家から「よいセラピストになる」と勧められ、体験的技法を中心とする再決断療法(TA・ゲシュタルト療法)ベースの統合的心理セラピーを4人の師から学ぶ。虐待連鎖やDV加害者などの当事者共同体の中で実践的な研鑽を積む。
東京の神楽坂・目黒で開業し、福祉や医療から見放されたアダルトチルドレン/発達性トラウマ等の生きづらさに立ち会う。(後に性被害や虐めのトラウマ・サバイバーが加わる)
悩みを解決したクライアントたちが「他にも必要な人がいるはずだから続けてくださいね」と伝えるだけのために追加セッションを申し込んでくる。

「大学で心理学を専攻していない者がカウンセリングするな」と一部の大学教授から怒りを買うが、その一方で「あなたのような人は必要だ」とベテラン臨床家や実業家に幾度も助けられる。
「頼むから死んでくれよ」と「あなたには生きて欲しい」の声の狭間から、10年以上にわたり心理セラピストとして活動。現在は関西を拠点とする。
心理職としては異端とされてきた、理系知識、サバイバー経験、ビジネスコンサル視点が相談現場でひっそりと再評価され始める。

属性データ
- 公認心理師(試験成績192点/合格者の中で推定上位3%)6
- 大阪公認心理師会
- 日本心理療法統合学会
- 対人支援職ネットワーク団体(全国の福祉・医療・産業保健等)の事例研究会/輪読会(毎週)に参加
- タイプの異なる複数のスーパーバイザー(ベテラン臨床家や学会理事など)を確保
- 広島大学 理学部 物性学科 卒業(神経回路網と記憶モデル)学士号(理学)
- 北陸先端科学技術大学院大学(JAIST) 人工知能研究グループ 修了(認知科学・状況意味論)修士号(情報科学)
※情報理論は、トラウマ記憶、感情スキーマ、複雑系としての人間理解に役立っています。
- Narrative Exposure Therapy for PTSD7(人生史を語るトラウマ治療 NET)
- Prolonged Exposure Therapy for PTSD(24 hours)(持続エクスポージャー療法)
- SPR8(米国国立PTSDセンター他 開発/兵庫県こころのケアセンター主催)
- Trauma-Sensitive Mindfulness(13ヶ月/David A. Treleaven 他)
- 医療・心理職者のためのマインドフルネス研修会(プラムヴィレッジ来日)
- Attitudinal Healing Japan Facilitator Training & OJT(心の平和を目指すグループ・メソッド/大きく影響を受けた活動)


エピソード

アートセラピーは専門というほどではありませんが、セルフワークとしてはよくやっています。
湧き出る自由を使って絵を描いたり、心と折り合うように天然石を並べたりします。ある時期からは写真カードを並べるワークも始めていて、そちらは専門になってしまいました。(⇒Points of You)


Kojunは、歩きながら宇宙語を呟いたり、ぬいぐるみを持ち歩いたり、手足をブラブラしたりと、奇妙な行動をしてきました。自分でも何故そうするのかは理解していませんでした。ただ、「それをするのが自分」でした。そして、それを見た人たちも癒されていました。
ところが近年になって、身体志向セラピーのエクササイズを集めたカードや本を見ていると、Kojunの奇行にそっくりな動作が多数掲載されているのです。トラウマ関連の神経科学によると、これらの不思議行動は自律神経を整える作用がある神経エクササイズであることが解ってきました。
Kojunは生き延びるために、科学を待たずに試行錯誤してサバイバル技術を身につけていたのでした。

最初のトラウマは、物心ついた幼少期に繰り返される苦痛でした。何度も嘔吐し、呼吸ができない状態となりました。今思えば見えざる者からの虐待のようでもあります。神様に祈り助けを求めましたが、神様は助けてくれませんでした。これは自分が悪だからだろうと思い、何度も誤ってみましたが、赦されませんでした。そこで、自助の道を歩むこととなりました。ヴィパッサナー瞑想の修行のように痛みを観察したり、アファメーション技術を使って自分を導いたり、苦しみが訪れると周囲の音に耳を澄ませ(五感によるグラウンディング)ました。このようにして、心理技術の半数以上は習う前に発見していました。他の広義トラウマも重なり、様々な対処・対応を身につけ、独特な性質を持つ人間となりました。
私はもともと「心理セラピスト」といえば、心の苦悩を内側から知る者だと思っていました。心理学用語より前に学んだ「経験の言語(というか非言語)」を内的言語の母語として使う—それが当たり前だと。これをネイティブセラピストと呼んでいます。
後に、当事者を外から視て、体験ではなく教科書や権威者から学ぶ専門家がいることを知りました。大学で心理学を学んで自信満々の彼らは私たちを否定しました。ある大学教授からは「大学で心理学を学んでいないくせに開業なんぞしおって」と激怒され研究会への参加を断られました。ある若い心理師は「大学で学んでいない人がカウンセリングするなんて許せない」と言いました。しかし、その一方で私は当事者たちから「大学教授らのカウンセリングが役に立たなかった」と何度も聞かされました。
しかし、私は理解あるベテラン心理士たちとも出会っていました。私は学術界で学んだ人たちとネイティヴ・セラピストの両方が必要だと直感していました。そこで、いまさらと思いながらも大学で学んだ若い心理師たちが参加する学術系のトレーニング・演習に参加してみることにしました。そこでは「経験者だから技術があるのは当然としても、それ以上にプレゼンスだけでこんなにセッションが違うのか」と驚かれ、帰り際には何人かに呼び止められて「参加してくれて、ありがとうございました」と言われました。

心理療法トレーニングは在野と学術界でずいぶんと違います。在野には実践系のトレーニングがあります。(学術界にも実践系トレーニングが全くないわけではないですが)
Kojunが最初に学んだのは在野の実践系トレーニングです。
学術系トレーニングでは、生徒同士でペアとなってロールプレイ(役を演じる)などを行います。深刻ではないテーマで練習します。主に「学術的に正しいこと」を教えてくれます。
一方で、在野の実践系トレーニングには、多くの当事者が参加しており、生徒同士の演習セッションでも深刻なケースを扱います。「今朝は家族を殴ってしまいました」というような虐待連鎖やトラウマ対人恐怖の渦中の人たち(仲間たち)が実際に回復してゆく過程に立ち会います。先生によるデモ・セッションは一緒に学ぶ仲間が目の前で受け、あとで愚痴や感想も聞けます。先生だからといって盲信されず、「ほんとうに助かるか」が問われていました。
総じて在野の方が生々しい訓練、リアルな実習でした。信頼関係による安全な場を作り、一般のクライアントにはさせないようなことも自主的に試すのでパニックや硬直などを起こす人もいましたが、そういったことを含めても、暖かく安全に体験できました。これを実践系トレーニングと呼んでいます。
大学(学術界の一部)でも「厳しい訓練」がされていると聞くこともありますが、それは教授からのダメ出し公開処刑みたいな厳しさだそうです。
医療・福祉業界の人たちは「在野のピアサポート=素人が傷を舐め合っているだけ」と思い込んでいますが、実際には学術界より10年ほど進んだ最先端の(といってもルーツは古い)セラピー実践をしていました。
ただし、最近では在野の講座でも、体験的訓練をせずに知識だけでセラピストになろうとする人が増えているそうです。逆に、一部に体験を重視しはじめた心理師もいます。
Kojunは古き良き在野の最後の世代のネイティブ・セラピストなのかもしれません。

Kojunは子どもの頃から「なぜ人は怒鳴るのだらうか、なぜ虐めるのだろうか、なぜ攻撃するのだろうか」と悩んでいました。
学生時代は理系で、ニューラルネットワークや認知科学(脳科学やAIの基礎)を学んでいます。その目的は、「人類が自他を傷つけなくなるため」でした。
紆余曲折しながら、業務改革、組織間対立の調整、学習支援など、不必要な心理的苦痛を無くすための仕事をしてきましたが、理性や意識以外の何かが問題の根底にあることに気づきました。
そこから心理セラピーにたどり着きました。認知行動療法もやりましたが、たどり着いたのは心理療法の中でも科学というよりは哲学的な、ハウツーよりもプレゼンスや関係性を重視する、人間性心理学や実存主義セラピーでした。会っただけでホッとした人が泣き崩れて回復が始まる、気づけばそんな世界にいました。
人間性心理学はどちらかというと心理療法の中では弱い勢力で、主流である科学主義や権威主義から叩かれていました。
また、心理職業界は「心理学は科学だ」と言いながら、理学部出身の私たちを「他分野」として職場から追い出していました。心理学者のいう「科学」は物理・化学・情報科学のことではなく、心理学統計だけを指していました。
ところがfMRIの発明が脳神経科学を急発展させ、情報科学と融合することで、人間の無意識を解明し始めています。Kojunが子どもの頃にいだいた疑問も殆ど解明されています。私たちの心の殆どが無意識プロセスだということ、直感とか体験知と呼ばれていたものが実在することが解り、意味ベクトル、マトリクス、価値関数など数学の言葉で語れるようになりました。
臨床心理学の権威主義が他分野出身者を排除している間に、認知科学(情報科学)は心理学を取り入れていました。
臨床心理学の科学主義が「測定できるもの」に固執している間に、脳科学と情報科学は「測定できないもの」を語る言葉を科学的に積み上げていました。
いまや、感情焦点化療法やトラウマ特化セラピーの教科書にも「情報処理」という言葉が出てきます。
たどり着いた人間性心理学・実存主義と、古巣である自然科学・情報科学が、やっと再開しました。
参考:

Kojunらしさのコンテンツ

※ラジオ音声はゆめのたね放送局からの許可を得て公開しています。
