「LGBTQを支援する」「私はアライです」に違和感?

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LGBTQ当事者、非当事者ともに、「LGBTQを支援する」という言葉がなんだか嫌いという人は多いです。

「私はally(アライ)です」って言うのは、なんか変な感じがすると言う人もいます。

※アライ:支援者・理解者の意味。本来の語源からは「協力関係者」。

違和感の正体は?

「僕はストレート(性的マジョリティ)ですが、性的マイノリティのLGBTQを否定したりしません。LGBTQの方々も私たちと同じ人間だと思います。LGBTQであることは悪いことではないよ。できれば力になりたいと思っています」

これを言われた当事者はあまりよい気分でなかったりします。

「えーっ? これを言われて何で気を悪くするのか分からない。肯定されているのに!?」と驚く人はけっこういます。

たとえばですが、中国人青年が日本に来て次のように自己紹介したとしたらどうでしょうか?

「僕は中国人(漢民族)ですが、少数民族の日本人を否定したりしません。日本人の方々も私たちと同じ人間だと思います。日本人であることは悪いことではないよ。できれば力になりたいと思っています」

これを聞いた日本人は、「おひきとりください」と言いたくなるでしょう。なーんか友達になりにくそうだなあと思うはずです。一方で、近所で日頃挨拶を交わしている中国人は自然に感じるでしょう。

「理解します」「支援します」というと、マイノリティは差別されるのが普通、支援が必要な問題をかかえた人であるという前提が感じられます。

「支援」「理解」の歴史的背景

以前は今にもまして、マイノリティは暴力を受けてきました。そして、相談先を間違えると、「あんたが異常だから悪いのだ」という前提で話されて傷つくリスクがありました。

そこで、「あなたがLGBTQだとしても、そのことであなたを否定しませんよ」とわざわざ示す必要があったわけです。

暴力の対象がLGBTQだろうが、老人だろうが、道に迷っている旅行者だろうが、人に対して暴力することが問題なのです。LGBTQであることが問題なのではなく、暴力が問題。本当は「LGBTQ問題」ではなく、「人権問題」なのです。

ですが、上述のような必要性から「LGBT支援」というような言葉が使われてきたのでしょう。とくに、古くからある「支援団体」と昨今の「支援団体」では、「支援」という言葉への想いが違うように感じます。

LGBTQが差別されて暴力を受けることが当然のように思われていた頃には、同じリスクを買って出て名乗りを上げるallyが重要な存在でした。そういった意味で「私はallyです」と宣言する意味は、今日なくなってきているかもしれません。

時代背景を考慮して、意図を汲み取る必要がありそうです。

支援者の心理的課題

可哀想な人を助けることで自分の価値を確認したくなる心の課題、「人を助けて感謝されたい病」とでもいうようなものがあります。それは心理分野では、メサイアコンプレックス(救世主症候群)と呼ばれたりします。

これがあると、「どこかに可哀想な人いないかなあ」と被害者を探したくなります。そのアンテナにLGBTQがひっかかると、LGBTQを助ける自分はいい人という妄想(多くの場合、本人に意識されない無意識レベル)が起こる可能性はあります。

そうすると、LGBTQを弱者、自分を救済者とする目線が成立します。しかも、そのことに自分で気づくことは難しいです。「え? 何がわるいの? 人を助けて自己満足するのはwin-winじゃない」となります。

LGBTQのことに限らず、メサイアコンプレックスの問題は、次のようなものがあります。

・人の不幸に惹かれるので、人の幸せにあまり関心をもたない。(問題が解決せずに頼られ続けるように支援する)
・不幸でない人は応援したくない。(幸せなLGBTがいると、攻撃・否定したくなる(不幸は正義))
・過剰に感謝を要求する。(「あなたが助かったのは私のおかげだ」とアピールして、本人の自助感覚を損ねる)
・「私は支援者です」などと言うことが相手の気分を害するということが理解できない。

助ける人になりたいという心理があると、相手をかわいそうな人、弱者として扱います。表面的には「対等」と言いますが、心の底では「してあげてるんだ」と思っています。これはされる方からすると、けっこう嫌で厄介なものです。

どうすればいいのかな?

結局のところ、「私はally(アライ)です」って言うのは、避けた方がいいのでしょうか?

場によるかと思います。その場で使われている言葉にちょっと合わせる感じでしょうか。

LGBTQ交流会などで「当事者でなくても参加してもいいですよ」という意図で、alleyという参加者枠を用意していることがあります。そのとき、参加者票の「ally」に○をつけるのは、問題ないでしょう。

自己紹介は「アライです」よりも「ストレートです」の方が無難かと思います。

※「ストレート」=ヘテロセクシャルかつシスジェンダー。
※「ヘテロセクシャル」=異性愛者、「シスジェンダー」=トランスジェンダーでない。

日常的なところでは、まずallyなんて言葉は使わないでしょう。当事者がストレートの友達・仲間をallyと呼んだり、紹介したりしているのは聞いたことがありません。本当の友達や理解者は、LGBTQだから仲良くしているというわけではないので。

「支援」ということについては、どんな問題を支援するのかを尋ねます。「LGBTQの住宅問題を支援」と言うと、たしかにそこに問題があって(困ってる人がいて)それが支援対象になっています。一方で「LGBTQだから不幸なはずだ」という前提で漠然と支援を宣言するのは、見下した印象を受けます。支援を申し出るなら、扱う問題を特定するのがよろしいかと思います。

 
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