私は「勧善懲悪」が好きではないようてす

私は勧善懲悪の感覚が薄いのかもしれません。その「懲悪」について書いてみます。

何年も前に、児童養護施設(親と一緒にいれない子供たちの住む施設)の子供たちと遊園地で遊びました。

その日は担当したグループの中に、生意気な小さなクリクリ男子がいました。

遊園地のアトラクションで、クリクリ男子ははしゃいで走ってゆき、よその子供を押し退けて階段を登りました。よその子供の母親が「なにこのバカな子は!」と怒りました。ごもっとも、うちのクリクリが悪いのです。

そのとき、私の心の中にあったもの。

自分はクリクリの味方。大人から発せられた攻撃的な声からクリクリを守ろうとするバリアのようなイメージ。

この善悪に逆らってでも、攻撃から人の心を守りたい感じ。私にもありました。人の親になったことのない自分にこの感覚、意外てました。

クリクリは罰を受けてはいけない。

その程度の社会性は、罰がなくても、クリクリも学ぶでしょう。

その日、クリクリは泣かせた友達に謝り、私達ボランティアにお礼を言い…。

大丈夫に思えます。

2016.1.8
私は「懲悪」の感覚が薄いのかもしれません。罰したり、正たり、ずっと前から嫌いです。もちらん、私も怒ることはあります。でも、正義が最上位ではない。

精神治療も、「障害(disorder=歪み)を直す」考えのものは、昔から嫌い。昔の認知療法で説明されていた「認知の歪みを直す」なんて、ずいぶんと人を見下していると思います。本人の成果ではなく、治療者の成果を求めて、社会に適応できない人を矯正する思想。

現代の心理セラピーは、本人のためにするのが主流です。

セラピーに限らず、今の時代、それそろ正している場合ではないと思います。

裏切られる小さな善。罰せられる小さな悪。それらの味方でいたい、そんな想いがあるようです

 
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