認知行動療法それ自体も歪む

体験談・事例

今回の投稿はかつて患者だった者としての、体験に基づく私見です。

講演で、認知行動療法の紹介がありました。トランス女性(男性生まれで女性として生きてるトランスジェンダー)への応用例。

トランス女性は、慣れない婦人服を着始めたときに、路上や電車内で「人から笑われてるような気がする」などの視線不安を感じることがあります。認知行動療法では、それを「笑い声が聞こえた」「人がこっちを見た」という事実と、「私のことを蔑んでいる」という認知に分解し、認知の部分を「蔑んでいるかもしれないが、そうじゃないかもしれない」と正すという練習をするわけです。

「認知の歪み」とか、「思考の誤り」を修正するというアプローチ。

心の問題解消のプロセスを最も妨げるのは、「なおす」とか「ただす」という視点だったりします。まさにそれを、自分でさせようとしているように感じることがあります。

(認知行動療法をもっと柔軟さのためにつかっている支援者もいるので、一概に否定はできませんが)

精神医療関係者たち自身が、精神の問題を疾患としてみるのはもうやめたいと言い始めています。患者という言葉さえ使わない医者もいます。脱病理化という流れね。

私も「自分に向き合えないこてが、あらゆる悩みの原因で、そこを変えれることを練習しましょう」と発信している。

これも「なおす」「ただす」と似たところあるかもしれないと反省を・・・。

しかし、大きな違いに気づきました!

私が説明する闇(「自分に向き合えない」という性質)は全ての人間(セラピスト等も含む)に当てはまる前提。

(古典的な)認知療法の「認知の歪み」は疾患者の特徴のように説明されています。

私の言う闇は、社長にも、先生にも、メンヘレにも、元気なおばちゃんにも、あるります。

闇は病気を治すときの鍵ですが、闇は病気の原因ではないと言ってもよいかと思います。

もう一つ、思うこと。

トランス女性の視線不安を扱うとき、「歪み」などと言わず、共感的態度が必要とその講演者も言っていました。

というより、共感こそ必要だったのだろうなと思います。

講演者(若き臨床研究者)が、悩みを聴いてくれて、一緒にワークに取り組んでくれたから効果があったのであって、認知療法による認知の修正のところはオマケなのかなと。昔の患者仲間との雑談でもそんなこと言われてました。

共感したいよね。私は、犬恐怖症の人の気持ちがしりたくては、犬に噛まれようとて、仲間に叱られた。

講演者は、女装なり、水着姿なりで、山手線一周すればよいと思う。やったことないと思います。やったことがあれば、その体験談が出るだろうから。ガン患者の気持ちを知るためにガンを患ってみるということは出来ないけど、これは出来ることです。

やってみると、人の視線が気になるでしょう。そこで、認知療法を試してみるといい。

認知の修正と、「こわかったわー」と言える相手がいることと、どっちが重要か、体験だけが教えてくれます。

性別越境中の視線不安は正常なのです。「気にするな」と言う方が歪んでいるのです。

私がわりと平気なのは、「気にするな」という侵略に支配されず、ちゃんと怒りを所有したからなのです。

それをしたことがなければ、医学部で学んでも、心理学部て学んでも、不安症のセラピーは本当には出来ないと思います。

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心理セラピスト 広義トラウマの解除/生きづらさ改善(人生を支配するパターン、自己肯定、アダルトチルドレン、性暴力被害の過去、いじめトラウマ、PTSD、喪失、対人不安、愛着不安定、恐怖症など)を扱います。
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