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学歴で心理カウンセラーを淘汰せよ!?

あなたは、どう思いますか?

これは、長期にわたって心の悩みと向き合っている人、カウンセラーやセラピストを探している人は、一度考えてみてよいかと思います。

心理カウンセラーや心理セラピストに学歴は必要か? 大学で心理学心理学部を卒業している必要があるか?

大学院までいってないとダメとか、アメリカに留学してないのはダメという意見も聞いたことがあります。

一方で、カウンセラーの良し悪しを認定する資格をつくることは不可能だとか、人生の後半からカウンセリングを始めた人がけっこういいカウンセラーになるとかもよく言われてきました。

これは大きく意見の分かれます。

「いやいや、明確だ。カウンセラーは高学歴じゃないといけないのは当たり前だ」という人もいます。「明らかに、かんけーねー」という人もいます。

それぞれ、自分の側だけが正しいと思っていて、対話すらできないトピックです。

だから、「大きく意見が分れる」と言っています。

まずは、この対話すらできない、喧嘩しかできないという心理専門家たちの心の未熟さを冷静にみておくとよいと思います。

これについてはいろんなことがあったので、私もあまり穏やかではありません。

玉石混合は事実

よく言われているように、カウンセラーが玉石混合なのは事実です。

どのカウンセラーも多かれ少なかれダメさは持っているのですが、たしかに素人っぽすぎるカウンセラーもいます。「俺は人からよく悩みを相談されるんだ」と自負しているオジサンが、定年して突然カウンセラーを名乗りはじめて、「あんたはこうだろう」と言い当てて悦にひたっているとか。(笑)

でもまあ、相談者さんも、それくらいは見抜けますよ。あえてそういう人に相談したい人は、あえてそうしているんだと思います。プロに相談したくない人もいます。

「カウンセラーにJISマークをつけてくれ」という要望は、まあプロではあるんだけどハズレってことが多いということを言っているのかなと思います。

私もかつて、数十人の心理支援者などのセッションを受けたのでわかります。

ですが、学歴や資格で玉と石をわけられるかとうと、無理だろうと思います。

頷くだけのカウンセリングをする臨床心理士もいました(たぶん医師に報告するのが仕事)。患者が自分の考えを言うと声を荒げて怒鳴る精神科医の話も何件か聞いたことあります。資格をもった産業カウンセラーも半数くらいは会社から命令されればリストラの手伝いをします(求職中の患者数人から聞きました。私自身も経験しました)。

人柄というか生き方については、学歴や資格でフィルターできそうにないと思います。

つまり、玉石混合は事実だけど、それをフィルターするものは学歴や資格ではない・・・と思います。

あなたの経験からは、どうでしょうか? 最初に書いたとおり、めちゃくちゃ意見が分れます。

ちなみに、米国留学経験や米国在住の心理士さんたちの話によると、カウンセリング先進国の米国では資格制度ががっつり普及していますが、それでも玉石混合だそうです。また、資格の種類も保険適用の4資格(日本の国家資格に相当?)が優遇されているけど、他にもたくさんの資格(日本の民間資格に相当?)があるそうです。つまり、学歴社会だけど多様性も確保されているのかもしれませんね。

自分の道を肯定はできても、他人の道を否定はできないんじゃないか

日本の心理士の地位向上に尽力されてきた、かの河合隼雄大先生はこんなことを言っています。

クライアントのことを考えると臨床心理士は、大学を出て、大学院を出て、そして、訓練されて、試験も受けてなったような人がなるべきだと考えたわけです。(中略)しかし常識で考えても、実際にカウンセラーや臨床心理をやる人が、高卒ではだめだということはわかりますから(後略)

河合隼雄『レクチャー心理臨床入門』p46

臨床心理士を高学歴に設定することはよいのですが、「カウンセラーすべてが高卒ではだめ」というのはとんでもない発言だと思います。

私はこんなこと言う人のカウンセリングを受けたくないです。高卒のクライアントが来たら、対等に話せてるんでしょうか。

なぜこんなことを決めつけることができるのでしょうか。私は心理学専攻ではありませんが、私のカウンセリングを見たのでしょうか? そこでは、臨床心理士さんのところでうまくいかなかった人たちが「やっと自分にあったセラピーができました」と涙を流して、悩みを解決しています。見たのでしょうか?

見ていないのになぜ否定できるのでしょうか? ダメな高卒・中卒カウンセラーがいるということは確認できますが、高卒・中卒カウンセラーは全てダメだということは確認できないのではないでしょうか。

※上記は大学生へ向けた講演の発言なので、表現が過ぎただけかもしれません。
それが記載されている本は16年前のものなので、晩年の河合先生のお考えは違うかもしれません。河合先生が高卒カウンセラーを否定していた背景には、多様な専門性のある対人支援業界で医師が頂点に君臨することへの問題意識があり、その原因を学歴差と考えたからのようです。

私は何人ものダメな臨床心理士や医師をみたことがありますよ。しかし、全ての臨床心理士や医師がダメではないと知っています。

そして、私が十数人のセラピストのセラピーを受けたなかで、私にとって飛びぬけて優れていたセラピストは高卒でした。進学するどころではない家庭環境で育った中卒の良いカウンセラーもいます。

某ひきこもりの支援団体の代表は、「これまで何人もの有資格心理士/心理師さんに講演や講義を頼んだけど、どの話も私たちには響かなかった」と小声で言っていました。
某こども支援団体の代表は、「スタッフを雇うのに資格は不問です。資格をもっていても役に立たない人はたくさんいます。行政手続きに必要な場合があるだけです」と言っていました。

ITに詳しい人なら、インターネットでカウンセラーに学歴や有資格が必須とする発言がユーザー側のものかどうか見抜くことができるでしょう。

クライアントに対して「カウンセラーはクライアントより偉いわけではないです」などと綺麗ごとを言っておきながら、学歴が自分より低い者はカウンセラーをすべきでないと思っているとしたら・・・偽りを感じませんか? 実際にそういう専門家はたくさんいます。

心理学専攻ではなくて化学専攻、元技術者などなどの優れた先生たちもいます。

それは例外だから、高卒や心理学専攻でない者はカウンセラーになれないような制度にしてよいと言えるのでしょうか。偉い先生だから言えるのでしょう。

面白いことに、河合先生がつくった資格である臨床心理士さんたちの多くは、学歴のないカウンセラーを否定したりしません。私の講座を受講しにくる人たちもいます。臨床心理士って、ほんとうに人を対等に見るんだなってちょっと尊敬します。

で、「高学歴の良さがある」と肯定はできるけど、「低学歴はダメ」と否定はできないんじゃないかと思うわけです。

高学歴の心理職の人たちというのは、それはそれの良さがあるだろうと思うんですね。私の知人にも臨床心理士や米国で学んできたカウンセラーがいます。

ほとんどの有資格者サイコロジストが玉砕して、高度な技術が必要であると関連団体の代表をも言わしめる、不登校の訪問支援では、元不登校の人たちが数回の講習とOJTで活躍しています。その人たちも高卒です。

たしかに、英語の論文は読めないし、歴史的に有名な心理学理論も知らないかもしれません。ですが、実際に人が幸せになっているのです。

私が会った優れたカウンセラーやセラピストというのは、壮絶な人生体験をしていることがよくあります。ですので、河合先生の言い方にならうなら「常識で考えても、実際にカウンセラーや臨床心理をやる人が、壮絶な人生体験などを通して苦しみや痛みを知っていなくてはだめだということはわかりますから」と言いたくなります。「常識で考えても、実際にカウンセラーや臨床心理をやる人が、社会経験をもっていなくてはだめだということはわかりますから」はヘンでしょうか?

私の答えはこうです。いろんなカウンセラーがいたほうがよい。

カウンセラーが均一化するよりは、玉石混交のほうがよい。

ちなみに、多くの臨床心理大学教授(上述の河合先生も学術界の人)が高学歴や知識にこだわるのは、医師と張合うためというのがあるようです。「医師にバカにされないように英語で専門用語を覚えろ」と教える教授もいるそうです。難しい専門用語を使って「え? ご存じないの?」とか言い合うサイコロジストの文化もあるそうです。

人の痛みを知らない心理専門家は、体験がないので科学的データが全てです。人の痛みを知らない専門家は「心は客観的に観測できないので、行動の変化のみを扱うべきだ」と言って報酬と罰のプログラム、考え方を変えるように説得するというアプローチに強く惹かれます。ですので、就労支援や障害者支援などの公的な施策はそのようなアプローチが採用されています。

「個人の体験談は科学的ではないから統計データを使うべきだ」と言います。実際に、性暴力被害者(女性)向けの心理支援として認知行動療法や曝露法が提案されています。「すべての男性が暴力的ではない」と考え方の癖を直したり、男性に徐々につけづけて慣らしたりして、男性への回避行動がなくなったとし、それで幸せなんでしょうか? それは「治す」ものでしょうか? いくら大学で心理学を勉強して、支援者側の席に座って経験を積んでも、それは分からないのです。だから、そのようなプログラムが組まれるのです。

そういう科学的なアプローチを好む人はそのような心理支援を選び、個人の体験に基づく人間味あるアプローチを好む人はそのような心理支援を選べばよいのではないでしょうか。

泳いだことがないけど泳ぎ方を教える、丘の上の水泳コーチもいてもよいですが、泳いだことがあるコーチも必要でしょう。それぞれに役割があるでしょう。

で、どうして「高学歴の心理職も必要だ」というのではなくて、「低学歴の心理職を撲滅しよう」になってしまうのでしょうか? なにを怖れているのか。

なぜそうなるのか、心の専門家なら気づいてほしいところです。

相談者側の視点からすると、均一化しないでくれーというのが私の意見です。

河合先生の「クライアントのことを考えると臨床心理士は、大学を出て、大学院を出て、そして、訓練されて試験も受けてなったような人がなるべきだと考えたわけです」に対して私が思うのは、「クライアントのことを考えると、多様な人がカウンセラーになるべきだ」と考えます。

河合先生の言った「訓練」とは人の痛みがわかる訓練なのでしょうか? カウンセリングのロールプレイやOJTのことだとしたら恐ろしいです。

その中には高学歴で心理学の知識がいっぱいの人もいたほうがよいでしょう。

私も開業して、なんちゃってセラピストが集客しているのを見ると、なんかモヤモヤしたものです。なので、たくさん試験を受けたりレポート書いたりして心理の専門家になった人からすると、大学にも行かずに人生の途中から心理セラピストになっちゃうなんて許せないでしょう。頭に血が上るでしょう。

でも、実際にそういう心理セラピストはいて、しっかり人の助けになっているのです。しかも、ステータスの高い心理士たちの支援からもれたような難しい人たちがクライアントです。

そんなのは嘘だと思うでしょう。自分は大学であんなに勉強したのに、そうじゃない人が心理セラピストを名乗るなんて許せない。

でも、大学以外にも学ぶところはあったのです。実際に暴力にあい、そのトラウマを克服し、実際にリストラされてこの世の恐ろしさを知り、恨みと折り合いをつけ、へんな症状を体験し、患者仲間が自殺し、夜の仕事でレイプされた仲間を抱きしめ、それでも楽しいことがたくさんあって、いろんな支援者に会い、インチキに騙されそうになったり、共依存の塊みたいなグループに出会ってしまったり、だんだんと本当のことがわかってきました。犬恐怖症のクライアントを理解するために、犬に噛まれてみました。裏社会もちょっぴり見ました。精神病の友達と夜通し遊びました。下半身を事故で壊した男性とお泊りもしてみました。医者にもカウンセラーにも話したことがないという話もあれこれ聞きました。心理学の教科書や厚生労働省の資料には未だ載っていないことがたくさんあります。私たちにとっては珍しくもなかったXジェンダーの存在すら、つい最近まで学術界は知らなかったくらいですから。

もちろん、大学で勉強した価値とは別の価値です。だから別に追い抜いたわけではないのです。

学歴ハロー効果

さて、「ちゃんと教育を受けていない低学歴のカウンセラーのカウンセリングが失敗している」と言われると、やっぱり高学歴じゃないとだめかーと思ってしまう心理現象があります。

ところが逆に、ちゃんと教育を受けた高学歴のカウンセラーのカウンセリングもよく失敗しています。「精神科医/臨床心理大学教授/心理士/心理師さんのところで、うまくいきませんでした(または、ひどい目にあった)」という人たちが、低学歴のカウンセラーのところでうまくいっている例もあります。

「関東のカウンセラーのカウンセリングが失敗している」と聞くと、ただちに「じゃあ、関西のカウンセリングは失敗してないの?」という疑問が起こりますが、低学歴-高学歴だとその疑問が起きないのはなぜか? 学歴ハロー効果、資格ハロー効果、白衣ハロー効果でしょう。

この記事の文脈だとそうでもないですが、通常はコロッとハロー効果にやられます。もしかしたら、そのために学歴や資格や白衣があるのかもしれませんけどね。

学歴主義や専門教育主義には「たくさん教育を受けた人が良いカウンセラーになる」という思い込みがあります。私の経験ではそうでもないように思います。

有資格者がその資格を持つことで権威を身に着けるとしたら、それはさまざまな弊害を生みます。心理職という非常にプライベートな領域に関わる職種が権威を持つということは、何よりも避けなくてはならないことです。心理職の持つ専門性は、あくまでも「専門家として誠実さと真摯に学び続ける態度」としての専門性だと理解する必要があります。

福島哲夫『カウンセラーになる 心理専門職の世界』第3章

私がかつていたIT分野なんかでは、情報処理専攻の大学卒や博士でなくても活躍しているエンジニア、システム開発者、アプリ企画者はいました。AIとかデータサイエンティストのような学術的な分野もありますけど、それは一部です。ほとんど学歴関係ない。そんな分野は多いと思います。医学(身体を物質として扱う生物医学)は例外だと思いますけど、心理療法は「療法」といっても医学ではないと思います。

心理職には集団的な防衛機制がある

心理支援者を探す人は、実はよくご存じのようですが、医師は「医師以外のものが人を救えるはずがない」と思いたがるし、心理士資格者は「心理士資格を持っていなひとが人を救えるはずがない」と思いたがります。これは自動的に自我がつくりだす防衛機制というものでしょう。

で、精神科医1.0は「薬だけで治るのだ。カウンセリングなんて効果があるはずがない」などと言っていました。精神科医1.0にとっては、薬以外の方法で、高学歴ではない人が病を治せるというのは都合がわるい(自我が阻害される)わけです。ですから、防衛機制が働いて、カウンセラーや心理職を否定します。

最近ではその防衛機制が必要なくなった精神科医2.0の人気が出ています。カウンセリングとは違う得意や役割があったりして、カウンセラーを怖れる必要のないわけです。

しかも、カウンセラーに対する評価も冷静で、「カウンセラーは全体的に玉石混合です。臨床心理士の資格持ちや病院勤務のカウンセラーじゃないとだめということはない。相性もあるので、会ってみて判断しましょう」などと発信する医師も現れ始めました。

昨今、精神科医1.0に代わって防衛機制から攻撃的な声を大きくしいる、心理職の業務独占[1]医師免許のように国家資格をもたない者のカウンセリングを禁止する。すなわち高卒はカウンセラーをしてはいけなくなる。を求める心理師1.0。「大学院で心理学を学んだ者じゃないとカウンセリングはできない」と主張しています。かつての精神科医1.0によく似ています。知識の勉強をしてきた人たちですから、学歴の低い人が効果的なカウンセリングをすると自我阻害が起きちゃうわけです。人生経験や人柄が知識よりも影響するなんてことがあると困るわけです。

また、人の痛みがわかるとか、こうでなければならないという世間の規範から自由になっているとか、人柄的に向いている人のカウンセリングや心理セラピーの効果は高いです。実体験のあるネイティブ・セラピスト[2]がっつりクライアント側体験をしてきたセラピストもそうです。ですから、泳いだことがない水泳コーチは、泳いだことがある水泳コーチを怖れるのは当然です。泳いだことがない水泳コーチは「知識こそ大事だ」と主張したくなるので、科学主義やエビデンシャリズムにもなります。「個人の経験に頼ってはいけない。知識こそが人を救うのだ」と主張して、難しい試験や学歴によって参入障壁をつくろうとししています。

と、思いますが、冒頭に書いたとおり、意見は大きく分かれます。これを読んで怒る人もいるかもしれません。

高学歴・有資格者のカウンセラーの方が盲目的な信用が高いので、そんなに怒らなくてよいと思いますが。

高学歴・有資格者ではない人がカウンセリングをしていると、めちゃくちゃ怒る人がいます。

私は心理支援者たちが叩き合うようりも、相談者さんが自分で選ぶことができる世界となるようお祈り申し上げます。

相談者側もご自身の考えをもっていただけると幸いです。

政府がちゃんと考えてくれるから、自分では考えなくていい、でしょうか?

ところで、心理カウンセラーに向いている人として「防衛機制が少ない」ということが言われています。自分と違ったバックグランドの同業者を攻撃するのは防衛機制だとすると、これが少ない心理カウンセラーは期待できそうです。

玉石混合のなかで良い心理支援者をみつけるのは少し時間がかかります。ですが、私は心理セラピストになってから、バックグラウンドが違っても否定しない心理支援者を選ぶようになりました。当然ながら私のセラピストとしてのバックグラウンドに対して頭に血が上るような人に私のカウンセリングはできません。そうすると心理支援者の選びハズレがほとんどなくなりました。

他流や他のバックグラウンドの同業者を否定しない心理カウンセラーを選ぶと当たりが多いということかもしれません。

脚注[+]

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