大阪での心理セラピーを受付開始していますすが、7月1~19日まで個人セッションをお休みします。

心理療法家の、知識が先か、体験が先か

私たちネイティブ・セラピストは、先に実践体験があり、その後に心理学の概念を学びます。

大学教授が書いた資料などでは、その逆で、心理療法家やカウンセラーは大学で心理学を勉強してから、次に実践経験をつむことが前提となっています。それらを私はサイコロジストと呼びます。

みんな自分が通ってきた道を正しいと思い込んでいます。

サイコロジストを育てる教授は大学で学ぶことが必須だと思う傾向があります。私は逆で、トラウマになったことがない人がトラウマのセッションをするのは、テニスしたことないテニスコーチみたいで、ありえない感じがします。

サイコロジストの国家資格の受験条件に「大学で心理学を専攻」とありますが、私なら「夜の仕事をしたことがある」「3社以上の企業で働いたことがある」なども選択条件に加えます。まあ、そういうのはサイコロジストではなくてセラピスト/カウンセラーなんでしょうけど。

クライアントさんたちと歩むときに思うのは、体験より先に知識を学ばなくて本当によかったと思います。

ある師が言っていた「知識は人を救わない」という言葉は、最初はあまり意味がわからなかったですが、今となっては実感を増すばかりです。

学歴あるサイコロジストは知識を使って支援をします。厚生労働省も知識こそが最初に大切であるというスタンスで業界を整備しようとしています。

私たちが心理セラピーの実技トレーニング中に知識を思い出そうとしていると、「どこ見てるんだ。目の前のクライアントを観ろ」と注意されたものです。知識に喰われないことを最初に叩きこまれるのです。

少し心理学をかじれば、「この人は〇〇パーソナリティかもしれない」とか「この人は〇〇トラウマらしい」とか見えるようになります。1つのテーマであれば、3日くらいで学べるでしょう。しかし、そのステレオタイプや知識に支配さて人そのものが見えなくなります。知識に支配されずにその人そのものを見えるようになるまで、1つのテーマでも1年くらいかかります。

セラピストの学びの8割が、知識を得ることではなく、知識から逃れるための学びです。

実は、専門知識が役に立つ場面と、役に立たない場面があります。

たとえば、病院などの施設の利用者が周囲に暴言をまき散らすという場合、パーソナリティ障害なのか、認知症なのか、薬の副作用なのか、見極める必要があります。そのような場合は専門知識が役に立ちます。実際に心理検査が主な専門タスクになることも多いようです。

たとえば、悩み苦しんでいる人がいて、変化が必要なとき、その人自身を観るためにどれだけ知識を捨てられるかが重要になります。

つまり、身体の病気なのか、心因性の病気なのかというように大きくカテゴリー判断をするのはサイコロジストが得意です。一人ひとりの違いに迫るきめ細かな見立てはセラピストが得意です。

実はネイティブセラピストは見立てだけではなくて、メンタルモデルを使います。

メンタルモデルというのは、たとえば「シーソーに兄と弟が乗ています。兄が急に降りたらどうなるでしょう」と言われると、たいていの人は弟が下にドスンと落ちることが心的シミュレーションで判ります。それがメンタルモデルです。「兄弟シーソー系に起こりうる3つのケース」などという概念や知識を使うわけではありません。

サイコロジストはメンタルモデルがあまりない使えない代わりに、見立てや疾患名というラベルを多用します。そんな違いがあり、一長一短です。

大学で心理学を学んだ人たちにとって、私たちのような心理学を大学で学んでいいない者が心理療法をするのは許せないでしょう。

正解は一つだというわけです。

「大学で心理学を学んでいない自称セラピストが問題を起したら誰が責任を負いとるんだ」などと言うサイコロジストもいますが、大学で心理学を学んだサイコロジストが事故を起こしているケースも聞きます。

「自称セラピスト」である私のところへ来て上手くいったクライアントが、最後の感想で「実は最初は学歴あるサイコロジストのところへいったのだけど、上手くいかなかった/ひどい目にあった」と報告することもあります。

逆もあるってことです。

どっちもどっちですが、そもそも役割が違うのではないかとも思います。

人は自論に都合のいい情報だけをピックアップします。そういうのを心理学では「選択的注意」とか「確証バイアス」いうそうですが・・・・心理専門家がその罠にはまらないかというと、完全にはまります。

私は心理支援には多様性が必要だと思います。学歴があるサイコロジスト(臨床心理士さんなど)たちにも助けられましたし、高卒のネイティブ・セラピストたちにも助けられました。

まったく雰囲気も違い、役割が違いましたが、いろんな人が必要なのだと思います。

自分には知らない世界があると思える人たちが、今後つながってゆくといいなと思います。