大阪での心理セラピーを受付開始していますすが、7月1~19日まで個人セッションをお休みします。

心理的ヤング・ケアラーを分かりやすく

心理的ヤング・ケアラーと私が読んでいるものをコミカルな喩で説明してみたいと思います。

親子関連のトラウマについて当事者研究に参加していたときに、当事者の間で判りやすいと評判だった喩えですが、不謹慎かもしれませんので、引用にはご注意ください。

母と子が遊園地のお化け屋敷に入ったとします。

出口から出てきたときに、子供が泣いて母親にしがみついていたら健全な親子です。

もし、出口から出てきたときに、母親がいなくなっていたら、心理的影響はニグレクト的(不本意に離れてしまった場合を含む)のような状態でしょう。

もし、出口から出てきたときに、母親がお化けになっていたら、心理的影響は虐待的(様々な意味で親が安全ではない場合)のような状態でしょう。

そして、出口から出てきたときに、母親が泣いて子供にしがみついていたら、心理的影響はヤング・ケアラ―的のような状態でしょう。

これはいろんな当事者の原体験を聞いて、共通点を寓話的に表現してみたものです。

深刻なテーマなので、あまり笑い話にしないでほしいのですが、思い当たることがある人は「うわー、その子の気持ちがわかるー」とおっしゃいます。

実はこれは親子のテーマだけでなく、虐めと傍観者(助けなかった人たち)との関係などにも似ていて、人間にとっての「恐さ」の種類を表しているとも言えます。サスペンスなどのストーリーにもこのパターンが見られます。

感情を扱うセラピストは「恐さ」に種類があることを見極めておく必要があるかと思います。たとえば、上述のニグレクト的の場合は、恐さでありながら、悲しみと関連づいていることがあります。セラピーで最初に悲しみとして表現されてそのあとで恐さをケアする、あるいは逆などです。稀にそれらをひとまとめに「さみしい」として扱う場合もあります。

虐待的の場合は、暴力そのものの恐さと、本来安全基地であるはずの親が安全基地ではないということの恐さがあります。そこが他人からの虐め被害と異なるところです。

お話だけからだと虐待がテーマのようであっても、その人にとってはヤング・ケアラー的に心理トラブルになっている場合もあります。虐待した人以外の人物がどうであったかに大きく依存します。