日本の心理業界の今昔 ~ ある当事者が観た風景

当事者と心理支援者の両面から見ていた時代の目撃者として、日本での心理セラピー(心理療法)の歴史を書いておこうと思います。

たくさんの感動や悲観を経験してきたので、客観的な文章にするのが難しいのです。むしろ研究論文ではないので、ちょっと面白めに書きます。心理支援業界がユーモアを失ったらおわりと思いますので。

ひとまず精神医療批判ぽいことも書きますが、書きたいのは批判ではありません。何度かにわたって加筆・編集しようと思います。

さらに、これらの歴史書に共通しているのは、近代以前の歴史を原始的で非人道的なものとして扱い、近代以降を科学的で人道的とする一方的な進歩史観である。しかしながら、精神医学の歴史は、そのような単線的で進歩的な流れではなく、近代以降にお多くの問題点をかかえた歴史であった。

『精神医学の歴史』小俣和一郎(元上野メンタル・クリニック院長、精神医学史家)

ほとんどの専門家が臨床心理学の歴史として学んでいるのは「偉人史」ですが、当事者が観た権威にとって都合のわるい重大な事実を歴史として残す必要があると思います。特定個人を攻撃することなく、それは可能ではないかと思います。

お薬の時代(精神科医1.0)

あるとき、精神病(妄想と現実の区別がつかないなど)ではなく神経症の分野に精神医療の市場が拡がりました。心療内科が急激に増えました。「ウツ」がよく知られるようになった時期でもあります。

※この投稿では、精神病を主に扱う古典的な精神科医のことは除外します。お悩みに自覚のある神経症の分野の話です。

その頃の殆どの精神科医は全ての患者を薬で治療しようとしていました(精神科医1.0と呼びます)。診察で患者が「よくなってない」と言うと薬がどんどん増やされたりしていました。ある実験によると、複数の心療内科を訪れて同じ症状をうったえても、全く違う種類と量の薬が処方されました。

心理の勉強はほとんどしていなくても医師免許があれば精神科も開業できるので、開業費用が安いという理由で精神科を開業する人もいたそうです。

患者がニコニコしながら「憂鬱で苦しいんです」と訴えると、「あなたは苦しそうではない。怠け癖でしょう。歯を食いしばって頑張りなさい」などと説教する精神科医がいました。実は、ニコニコしながら苦しみを訴えるのは、「人に嫌な顔をみせてはいけない」「大丈夫そうにしないといけない」などが刷り込まれた対人反応パターンで、カウンセリングではよく見かけます。そんなことも分からないような素人が立派に精神科医としてクリニックを開業していました。(ある著名な精神科医が医師免許や国家資格をもっていない心理カウンセラー/セラピストを「ど素人」と書いていたので、あえてここで言い返してみました)

※お薬が役に立つケースもありますので、お薬全否定は必要ありません。
※素敵な精神科医にも会ったことあります。

稀にいた減薬の精神科医

「症状が改善しなければ薬の量が増やす」という精神科医が多かった中で、だんだんと薬の量を減らしてゆくこと(減薬)のできる精神科医が稀にいました。

「数年間通院して薬を飲み続けていたけれど改善しなかったけど、新しい医者(減薬の達人)と出会い薬の量が減っていって楽になった。働くこともできず、意識朦朧としていたあの数年間はなんだったんだ」というような話もよく聞きました。

今日では「原因ではなくて症状のみで診断名を選ぶ」とか「経験や勘に頼らずエビデンスに基づいて」が最近の流行ですが、私が会ったことがある減薬の達人はまさに「経験や勘」で処方していました。患者を観察する力と上手な試行錯誤による職人芸でした。あなたは「マニュアル化できない暗黙知」を信じますか?

私に「あなたはお薬が効かないね。自分のために自分で研究するといいよ」と勧めた一人も減薬の精神科医でした。

在野心理セラピスト・私設心理相談室

医療以外の民間、いわゆる在野の開業セラピストやワークショップ提供者はその頃から心理療法(心理セラピー)をしていました。お薬ではよくならない心理的な苦しみをもった、たくさんの人たちが在野の開業セラピストやワークショップに助けられました。

在野にはナンチャッテもたくさんいますが、多様性があり、心療内科よりも珠玉混在です。「医者の言うことは正しい」「資格のある人は信用できる」という人よりは、自分を信じて試行錯誤できる人たちに向いています。

専門家が治してくれるものではなく、自分しか自分を救えないとい知っていて支援を探しているような人たちでした。

心理セラピー(心理療法)は研究所や病院で研究者や精神科医によって開発されてると思っている人が多いようですが、少なくとも日本では違います。実は在野で多くのクライアントたちのチャレンジと共に育ったものが多いように思います。

2010年頃でしょうか。心に苦しみを持つ人(ウツ病というわけではない)たちは公的相談窓口や医療にたらい回しにされ、助けを探し回って、在野の開業カウンセラー・サイコセラピストにたどり着くという人たちが多くいました。

「アダルトチルドレン」、「生きづらさ」などのキーワードが使われていたように思います。私もその一人です。精神科医数人や心理師さんたち数人にお世話になったのち、在野の心理セラピーにたどりつきました。

「どうも薬で治すものではないらしい」と気づいている当事者たちは出会い、助け合い、生き延びました。生き延びた悩みの当事者たちはサバイバーと呼ばれます。

先生たちの怖れ

精神科医はカウンセリングや心理セラピーを否定していました。精神科医は大きな労力やコストをかけて医師免許をとっていますから、医師免許をもたない者が人を救うなんて現実を認めることはできません。「否認」とう心理メカニズムが働きます。「カウンセリングで症状が改善した」なんて学会で発表した医師は学会出入り禁止になったりしていたそうです。

また、法律で「医師免許のないものが治療行為をしてはいけない」となっていますので、カウンセラーが「病気(?)」を治すと医療行為をしたことになるので違法です。でも、カウンセリングで心の病が解決することは実際にあるのです。しかしそれを「治った」と言ったら違法になるのです。なので、心理セラピストたちは「改善するのを助ける」とか「苦しみを緩和する」とか「相談にのる」とか遠まわしな表現で、医師会を怒らせないように遠慮しながらひっそりと活動していました。

セラピストの先輩は後輩に「すべてお医者様の手柄にしないといけないよ。そうしないと、カウンセリングやセラピーは叩き潰されるよ」と教えていました。それくらい怖れられているということです。

似たようなことは、代替医療(鍼灸、食事療法など)の分野からも聞きます。

大学教授にも在野が嫌いな人がいます。大学で心理専攻していない人が心理療法を提供しているというと、「そんなのはインチキにちがいない」「心理療法で金儲けしやがって」と大学教授などが鼻息を荒くして怒ったりします。これも「否認」の心理メカニズムかと思います。

情報科学の教授たちが、大学で情報科学を専攻していない人たちがITサービスやアプリを開発しても怒り出したりしないのとは対照的です。成果が出ている分野だからでしょう。

大学の授業で「さあ、今日は二人一組になって暴力被害トラウマの実体験をします」なんてことはできないのです。在野に本格的な実践者たちがいるのは当たり前です。

現代を生きる人間を対象とする臨床心理学は「在野」というものが重要な意味をもちます。(在野の人たちを大切にする学問分野もあるそうです)

あなたは「〇〇大学で臨床心理学ご専門の〇〇教授のお話」と聞くと信用しますか?

在野の心理カウンセラーや心理セラピストの多くは、大学で心理学を専攻していない他分野出身の人が多くいます。多くの弟子をもつ先生たちの中にも、元ファンドマネージャーや元エンジニアがいます。

いま、「大学教授の紹介で心理職になる」「心理職は医者の下で働く」ことが典型になるようにサイコロジストの国家資格制度もつくられています。

カウンセラーやセラピストにも同じ怖れがあります。それは「同業者に客をとられる」という怖れです。協力しあえずに足の引っ張り合いをしてきました。精神科医や大学教授がセラピストを怖れるというのと、怖れの正体は同じだろうと思います。ですから、占い師やヒーラーを馬鹿にしたり、国家資格をとって在野を見下す側になろうとしたりします。

実際のところ、よい占い師、よい在野カウンセラー、よい臨床心理士、よい精神科医、よい教授に会ったことがあります。しかし、どの業界もナンチャッテです。

大学教授を怒らせてしまった話

精神デイケアの登場

お薬だけでは回復しないということで、デイケア(社会復帰訓練プログラム)も導入されてきました。私はその黎明期に最先端と言われたその場にいました。

真面目すぎて、ストレス対処法を知らないウツ患者などは、デイケアを通して回復しました。再発率が下がった(といっても一般の病気よりは高いのですが)ということで、非常に注目されていました。

そこで行われていたことの効果の本質は、ピアサポートだったように私は思います。これは「人薬(ひとぐすり)」とも呼ばれます。

認知行動療法なども取り入れられていました。これは治療者側視点での制度になじみやすく、その後普及します。

デイケア参加者には、いま思えばアダルトチルドレン、トラウマ、愛着不安定のような人たちも来ていましたが、それらの人たちはデイケアでも回復しませんでした。デイケアで提供されるのは「(普通の人と同じことができるようになるための)訓練」でしたが、その人たちには「訓練」より前段階の愛着安定化セラピーなどが必要だったからでしょう。

在野の心理セラピストや私設心理相談室を個人開業モデルと呼ぶのに対して、精神デイケアなどは行政モデル、福祉モデルと呼びます。違いが公的な資金がパトロンとしてついていること、数量的な成果(多くの人に効果のある均一的な対応)を目指すということですね。

民間スクールでカウンセラー/セラピスト量産

在野の心理セラピストはビジネスモデルがありません。クライアントの問題が早く解決するほど、売上は少なくなります。1対1なので、業務拡大ができません。唯一のビジネスモデルは、セラピスト養成スクールや協会ビジネスです。なので先生たちはスクールや協会ビジネスをはじめました。当初は質が重視されていましたが、事業継続のために次々と生徒が必要になり、カウンセラーやセラピストが安易に量産されることになりました。「セラピーなんかおそろしくて受けたくない。でも人にはセラピーを提供したい」というようなセラピストも開業しはじめます。

かつては在野では、心理セラピストは虐待被害者、虐待加害者、自傷痕だらけの人、40年間生き延びてきたアダルトチルドレンが一緒に集い関わり合いながら実践トレーニングしていました。リスクをとって関り、傷つけらえたり、仲直りしたり、たくさん泣いたりして学びました。そうする必要があるくらい切羽詰まった人たちが学びに集まっていたいのです。「カウンセラーになって人の役にたちたい」みたいな、ちょっとカウンセラーに向かないような人たちは修行段階で挫折していました。

近年は、カウンセラーに憧れてとか資格を取りに学ぶ人たちの割合は急速に増えているようです。

(後に制度化された公認心理師は、それどころではなく、桁違いにカウンセラー(?)を量産することになります)

心理療法に挑戦するサイコロジストたち

かつては当事者出身ばかりだった心理セラピーのセミナーなどに、実技を習おうとすうる臨床心理士もちらほら見かけるようになりました。ですが、デモを見学しただけで真似をして事故る、感情の見立てやら間違えてへんなセラピーになってる、なんて例も体験談としてよくきく時期がありました。カウンセラーたちが「勉強し続けなければならない」と言いますが、私はこの頃から、心理セラピーの習得はお勉強ではないんだなと思うようになりました。師匠の「知識は人を救わない」という言葉が沁みます。

ある時期から、大学教授やサイコロジスト(心理師/心理士)のセッションで上手くいかなかったという相談者の話が増えてきました。心の深いところに触れることに失敗していたり、愛着不安定に対して曝露療法をするとか、癒すのでなく治すために深層心理セラピーぽいことをするという失敗談が多かったように思います。サイコロジストというのは、臨床心理学のいわゆるお勉強をしてきた人たちなので、得意なところが違うんですよね。

失敗してはいけないと言いたいのではありません。失敗はプロセスの一部だと思います。しかし、なんというか、先生方の根底には「治す/直す」という発想があるようでした。たとえば、暴力被害トラウマを癒すというのは、症状を治すことではないのですが・・・。

病院が手のひらを返したように心理療法を導入しはじめる

カウンセリングを散々否定していた医療が一転して、カウンセリングを導入しはじめました。カウンセリングの効果を世に隠しきれなくなってきたのでしょう。

病院のホームページに「転換性障害とは、心の問題が身体の運動や感覚の障害として現れるもので、薬物療法が効果ないことが多く…」などと書かれる時代になりました。

「障害」と名付けると、さも心の問題は医療が扱う病気であるかのように見えます。

それは生き方や人生の問題であり、人との柔軟な出合いで乗り越えてきたものを、どんどん医療マーケットにしているようにも見えます。「とにかく病院に行こう」といった感じです。

そしてカウンセラーは医師の「下」で働くようにと。病院のカウンセラー求人は「将来独立開業しようなどと考えていないこと」が条件として書かれていたりします。そこでは優秀なカウンセラーではなく、医師に従順なカウンセラーが求められています。

心理療法を育ててきた在野のセラピストたちは制度の外に追いやられました。「専門」とは「門」だなと思います。制度の中を目指すカウンセラーと制度の外へ向かうカウンセラーがいるわけです。うまく跨ぐ人もいるでしょう。

心理セラピストたちにも敗因があると思います。医療が共同で「医者は偉い、信用がある」というブランディングをしてきたのに対して、心理セラピストたちは足の引っ張り合い、客の取り合いばかりしていました。

実力ある心理セラピストたちも安易にスクールビジネスをしていました。カウンセリングよりもカウンセラースクールの方が儲かるからです。人数だけ増やして、心理セラピスト業界というものをしっかりとつくってこなかったのです。(臨床心理師の世界には尽力があったようですが、詳しくないので割愛します)

つながる当事者・家族会(ユーザーセクター)

インターネット・インフラにより、当事者の体験や意見が2日間で数百人にシェアされる時代となりました。精神関連の悩みは人に言えなかった時代に比べると、当事者や家族の情報力は数十倍にもなっています。もはや、専門家に数年間も騙され続ける時代ではなくなるかもしれません。

当事者家族のグループで交わされている意見や想いなどは、リアルで高品質な対話となっています。心理職者・専門家のグループで交わされている意見や机上の空論などが幼稚に思えるほどです。

根強い偏見や不理解がある一方で、「賢い当事者」「つながった当事者」がもっとも多い時代と言えるのではないでしょうか。当事者エキスパートとでもいいましょうか。このことは業界になんらかの影響をおよぼすのではないでしょうか。

心の悩みの相談先、3つのセクター

統合アプローチと専門分化

心理セラピー(心理療法)の世界では「うちの手法が一番」とうメソッド信仰がありましたが、徐々にそこから抜け出して、複数の手法を組み合わせる(折衷アプローチ、マルチモーダル)、クライアントの性質やステージや要望によってアプローチが変えたり他サービスを紹介する統合アプローチを実践する人たちが現れはじめました。

統合アプローチは、心理セラピスト側からすると、複数の手法を習得する(なんでもできるを目指す)、得意分野をわきまえてニッチにやる(なんでもやろうとしないを目指す)の両面があります。

医師についても、依存症専門医、パーソナリティ障害専門医などは、一般の精神科とは別の業界といっていいほど違うように思います。ホームページに疾患名がすべて載っている病院よりも、得意分野がある方が期待できるように思います(それでも患者の体験談によるとピンキリだそうですが)。

ひとつのテーマを探求されてきた専門医(薬物依存、行動障害、パーソナリティ障害など)の中には進んだ考えの方々がいます。講演会などではオフレコでお話をしてくれます。また、「医者はカウンセラーより偉い」に拘らない若い精神科医なども現れ始めている気配があります。さまざまではありますが、在野を叩かない、従来の精神医療に疑問をもつなど、すごく違いを感じるので精神科医2.0と呼んでいます。

浅層心理支援と深層心理支援のすみわけ

大学で心理学を学んだものだけが国家試験の受験資格をもつというような制度が整備されつつあります。

制度になじみやすいのは、人に依存しないマニュアル化した心理療法。なので、統計的で浅層の心理療法が流行しているようです。かつての薬ブームにも似ているかも。

医療が心理支援に進出してきたとはいえ、深層アプローチは苦手なのかなという印  象です。

…と書いてみたものの

この歴史の話は、うまく書けません。正確に書こうと遠慮すると、目撃した生々しい歴史の真実が伝わらない。今後の編集で少しずつ分かり易くできればと思います。いろんな人の情報を参考にしてください。とにかくユーザー(お悩みをもち、支援を探している人たち)が情報をもってご自身で考えることを願います。

参考文献

いずれも本来の心療内科、心身医学の必要性について書かれています。

『精神科のヒミツ』藤本修著 (私とは真逆の精神科医側からの視点で書かれています。私からすると、納得いかないことも書かれています)

『この薬、飲み続けてはいけません!』内山葉子著 (こちらも精神科医です。私が精神科医2.0っぽいと思う人の一人です)

いろんな人たちが異なることを言っているのを知ることが大事かと思います。

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