「LGBTQを支援する」に違和感!?

LGBTQ当事者、非当事者ともに、「LGBTQを支援する/理解する」という言葉がなんだか嫌いという人は多いです。

そもそもの勘違い

違和感の正体はこれではないでしょうか?

対人支援者が、LGBTQについて学ぶのは「LGBTQを支援するため」ではなくて、「LGBTQから学ぶため」なんですよね。

「LGBTの支援」なんていう特集を組んでいたカウンセリング業界誌は根本的に勘違いしているわけです。

そもそも支援(たとえばカウンセリングとか)が必要なのは「LGBTQの人たち」ではなくて、「LGBTQを差別している人たち」とか「採用担当者や雇用者」とかマジョリティ側なんですよね。

病んでいるのは差別する側(恐怖症の一種)であって、LGBTQの人たちが病んでいるわけではないのです。

これは児童虐待という問題において、支援が必要なのは被虐してしまう親の方だということと似ています。(ドイツなどでは、虐待親が匿名で相談できる窓口があります。日本では、通報窓口しかありませんが)

どうすればいいのかな?

「LGBTQの支援」という言葉は、はなはだひとを見下していますが、

「支援したい」と言う人には、どんな問題を支援するのかを尋ねます。「LGBTQの住宅問題を支援」と言うと、たしかにそこに問題があって(困ってる人がいて)それが支援対象になっています。支援を申し出るなら、扱う問題を特定するのがよろしいかと思います。

一方で「LGBTQだから不幸なはずだ」という前提で支援したがる人は、不幸な人が好きなメサコンでしょう。

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