心理セラピストの探す視点 〜 ネイティブな経験値

心理支援者 (心理カウンセラーや心理セラピストなど)の選びかたの視点をもう1つ。

知識と経験値

支援者は次の3種類の専門性をもっています。

知識心理学・療法の知識や業界動向。
臨床経験(支援者側としての業務経験値)支援業務や手法を使うことに慣れていること。
当事者経験(ネイティブな経験値)実体験として知っていること。

心理支援者によってどこに比重があるかが異なります。

結論を先に言うと、複数のタイプの心理支援者とつながるのもオススメです。

正解や答えがあるお悩みについては、「知識」をもった支援者に出会うことで効率よく解決できるでしょう。克服経験もなく、カウンセリングした経験もなくても国家資格をもっている人はいますが、既存の正解は知っているかもしれません。

知識をもつ人はスペシャリスト[1]「専門家」という言葉を好むのはこちら。で、ネイティブな経験をもつ人がエキスパートという印象です。

スペシャリストは研究論文などにアクセスして、「〇〇には〇〇が有効である」などの情報を得ます。

一方で、エキスパートはクライアントの表情や会話の微妙な変化から隠れたサインを読み取ります。

表の中段の「臨床経験」は、どちらかというと業務経験値であり、それはネイティブな経験値とは区別してほしいので書きました。ちなみに、「臨床経験〇〇〇時間」というのは長いほうがよしとされていますが、活動スタイルによってはクライアントの悩みが早く解決するほど短くなるとも言えます。[2]解決速度は5~10倍くらいは違うと思います。依存関係になると20倍くらいにもなります。

スペシャリストとエキスパートは根っこが違う

ネイティブな経験値をもつ私からすると、PTSDになったことがないスペシャリストたちがPTSDの議論をしているは、日本に来たことがない外国人が「フジヤマ、ゲイシャ」とか言っているようにしか聞こえなかったりします。

心の専門家はPTSDや愛着克服やトラウマを診たことはあっても、体験したことはないのです。

スペシャリストは知識で体験を補います。「体験なんて必要ない」「知識こそが人を救うのだ」と信じ込まないと仕事ができないスペシャリストもいます。「個人的な勘と経験を使ってはいけない。自己満足だ」と批判します。もちろん、そうならないスペシャリストもいます。

エキスパートは体験で知識を補います。「知識なんて必要ない」「在り方が人を救うのだ」と信じ込まないと仕事ができないエキスパートもいます。このブログなんかはそうかもしれません。

さてあなたは、紛争地域へ出掛けるにあたり、現地に行ったことのない知識豊富なスペシャリストに支援を求めますか? それとも現地に住んで生き延びたエキスパートに支援を求めますか?

両方とも活用できると思います。避けたほうがいいのは、「エキスパートには相談するな」と言うスペシャリストや、「スペシャリストには耳を貸すな」と言うエキスパートでしょう。

また、心理支援者がもつ「知識」にも、心理支援者に広く知られる一般的なものと、ニッチなものがあります。なので、自分(相談者)が求める分野についての知識がある人がよいでしょう。

同様に、心理支援者がもつ「体験」にも、自分(相談者)が求めるテーマとの相性があります。こちらは、同じ体験をしているのがよいとも限りません。また、ネイティブセラピストが自身の体験について大っぴらに公開しているとは限りません。しかし、それを知らなくとも、クライアント体験により嗅覚が育ちます。

彼らはどこからやってくるのか

エキスパートのもつ「ネイティブな経験値」は、お勉強によって得られない体験をもとにした暗黙知をもっといる人です。これは制度によって育成することができません。克服体験などは大学などの公的なカリキュラムにできないからです。「さあ、これから暴力被害トラウマの実習をします。二人一組で殴られる役を決めてください」という授業はできないのです。

「ネイティブな経験値」をもつ心理支援者は民間のトレーニング期間で養成されることが多いように思います。つまり、「カウンセラーになるために」勉強した人ではなくて、経験値をつんだら人の役に立ってしまた人たちという傾向があります。

専門家(知識や支援側と経験値のある人)なんてあんまり役に立たない、あんまり信頼できないと感じるなら、「ネイティブな経験値」をもつ心理支援者と話してみるとよいかと思います。

「不登校」分野の例

かつて30年くらい前、スペシャリストは「不登校は強制的に学校に行かせるのがよい」と言っていました。[3]たとえば、当時私が学生のとき授業を受けた不登校支援をしていた心理学教授 後に、スペシャリストは「そっとしておけ」と言うようになりました。同じ当時、エキスパートは、「別の通える場所が必要である」と知っていいました。 [4] たとえば、当時私が見学した大学近くの民間塾(いまでいうフリースクール)前身の代表。 スペシャリスト(大学教授や行政)がエキスパート(在野のフリースクール代表)に追いつくのに20年以上かかっているわけです。

今日でも心理専門家が不登校にアウトリーチするのはきわめて高度が技術を要して困難、むしろ悪化したとの当事者会関係者の声もあるなかで、元不登校の支援スタッフがアウトリーチで活躍しています。

Nothing About Us Without Us

障害者やマイノリティの分野ではすでに動きの始まっている、「当事者不在で決めるな」という標語です。

かつて心理専門家は「セクシャルマイノリティは治すべき病だ」と思っていました。後に、セクシャルマイノリティの支援に興味をもちました。

ですが、当事者やその身近な仲間は、ずっと前から、病として扱っても人が幸せにならないことは知っていました。当事者の治療よりも社会の問題であることも知っていました。

これも心理専門家が数十年の遅れをとっています。その間にたくさんの人々が命を落としました。

また、かつては全ての心の病は全て薬で治すと言う専門家がいました。これも、当事者の間では間違いだと知られていました。

心理学の知識というのは、主に偉人史と統計研究です。なので、病気としての治療や壊れた機械としての修理はできても、人の痛みや生き方は扱えない傾向があるようです。

※偉人史:お悩みの当事者ではなく、名もない多くの実践者でもなく、心理学者や精神科医が臨床をつくってきたかのような世界観。トラウマうを克服したA氏や元ヒッキーのB氏は功労者であっても歴史に残りません。

心理セラピストのトレーニングで相互セッションやライブスーパービジョンをしていたとき、心理学の知識を思い出そうとしていると先輩セラピストから「知識を見るな。クライアントを観ろ」と注意されたものです。

いまでは、逆に「知識こそが人を救う」といわんばかりに、国を挙げて専門家を養成しています。

参考:『野の医者は笑う―心の治療とは何か』2017 東畑開人著

脚注[+]

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