なにもしないかもしれないワークショップ

いまの私はワークショップやセミナーに参加するのがあまり好きではありません。ときどき主催はしていますが。

そんな私も、よく参加する時期がありました。

タイプ論などの自分を知るためのワークショップは、自分を赦すための最初の一歩になりました。違いがあってもよいと思えたので。

しかし、それは住みにくい枠から、マシな枠へと自分を移しただけとも言えます。

そして、枠から解放して、自分自身へとなることを求めるようになりました。

自己啓発的なものは、なんらかのプロセスに沿って人を変えようとするセミナーが流行ってあました。それは解放という名の強制。それは誰かの成功パターン。その誰かと私はなにかが大きく違っていたし、その誰かにはなりたくありませんでした。面白かったけど、ときには素敵な人たちとは出会えましたが、それは私の道ではありませんでした。いつもと違うことをしてみたけど、してみただけでした。

セラピーを学ぶ合宿や、アダルトチルドレン向け、摂食障害向けなどのリトリート的なイベントに参加し始めると、そこには私にとっての本当のチャレンジごありました。

そしてまた、自分探求のためのワークショップに出会いました。それは、初対面の人たちと過ごす社員旅行のような雰囲気で、なんのチャレンジも突きつけて来ない印象でした。みんなでお風呂に入ったり、おいしい野菜を食べたり。ノリがよい人も、静かな人も仲良く共存していましした。それぞれに様々な背景をもっているようでした。

そして、ほとんどワークショップに行く必要がなくなりました。

人を助けない自助グループ、マインドフルネスなどは、しばらく続けた。これらは、なにもしなくてよい系とでもいいましょうか。ワークや手順はあるにはあるんですけどね。

なにもしない、なにもされないと、いろんなことが起きました。参加してもなにも話さないことが多かったのですか、ふと何度目かに話したいことを話したら、手が震えたりしました。

いつの頃からか、私もセミナーやワークショップや講座を始めました。Points of You のワークショップ主催も始めました。参加してきた人たちに、なにをすればよいか教えてもらいながら。参加者がしたいことをしていました。

参加者がそれぞろにチャレンジして、お仕事で成功する人が出たり、事業の危機を乗り越える人が出たりもしました。

視覚、認知、感情、言語などに関して珍しい障害をもつ人たちが遠方から来ることもありました。その人たちは普通にワークができなくて、へんてこりんなことになっても、とても満足して帰っていきました。

ワークショップといってもワークがなりたつかわからないので、グループセッションと呼ぶことにしてみました。セッションとは、決まった時間を一緒に過ごすというような意味らしいです。

先日、とくにワークもしないかもしれないというオンライングループをしてみたら、けっこう参加者が来ました。

仲間内では、なにをしているのかと怪しまれていますが、とくになにもしていないのです。

真っ白な暗闇へようこそ。

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