心理セラピストになるまで

誕生 ~ 言葉を話さない子

2歳くらいまで声も言葉を話しませんでした。静かに世界を観ていたそうです。本は就学前から読んでいました。

魚を海に返す

幼少のあるとき、どこかの海岸を散歩していると、たくさんの魚が打ち上げられていました。魚を拾って海に投げ込みました。その魚が生き返って泳いでいくと信じていました。後に、心理療法家の先人たちが殆ど同じ幼少記憶をもつことを知り、驚いています。

苦痛から解離

脳の過活動に身体や血管の成長が追いつかず、痛みがありました。嘔吐しながら「もう痛くなりませんように」「ごめんなさい、ごめんなさい」と神さまに祈りましたが、神様は容赦ありませんでした。大人たちから「苦しむな」と指導されて解離が起こり、痛みを感じなくなりました。[1]「苦しむな」と躾けられ、身体をナイフで切っても痛みや恐怖が分からない青年期。自分の身体をナイフで切っても、食材の肉を切るのと同じように、苦しみや痛みが分からなかった。現在は逆にクライアントが置き去りにしてきた感情を見つけるお手伝いが得意。

共感覚を封印

「音楽を聴くと色が見える」などの共感覚がありました。あるとき、それが人と違うということを知り、発言に気をつけるようになります。

(大人になって、共感覚はかなり弱まってます。現在、心理カウンセリングの相談者と言葉を超えて同じものを見ようとするとき、似たような感じを思い出します)

学生時代

板書を写すことが困難で、ノートをとれませんでした。試験勉強を殆どしたこともありません。でもほんとは几帳面だった!?

中学生のときのメモ帳

数学の公式が覚えられず、テスト中に公式を作っていました。

大学では試験日程を覚えられず不合格となったり、白紙回答の裏に面白い愚痴を書いてAランク合格をもらったりしていました。

独創的な修士論文を書いてしまい、学会でドン引きされる。数年後にケンブリッジのMITから帰国した教授に「あなたの論文は日本で発表しても理解できる人はいないよ。最初から世界に出るべきだった」と慰められる。

社会人経験

様々な立場(一部上場企業、零細企業、フリーランス/自営、ニートなど)で社会人を経験。[2]以前は必須とされることもあった社会人経験のあるカウンセラーの割合は今後急激に減ってゆくと思われます。仕事内容は、企画・開発、組織セラピー、人材育成・コンサルタント、研究所員、事業統括、ホステス♡など。 あちこちの職場で成績トップ、ヒット商品企画、業務改革もするが、他の人が気づかないことに気づいてしまうという性質によりノイローゼも繰り返す。[3]経営破綻や人身事故の予兆に気づくが、理解されない。 [4]Kojunの推定IQは125。85以下および115以上の者は社会生活に困難を感じると言われています。

異変に気づく

仕事が落ち着いて忙しさが減ったあるとき、電車の中で涙が床に落ちました。悲しくもなく、恥ずかしくもなく、何の感情もなく。

リハビリ・プログラム

部分的な記憶喪失[5]解離性健忘が疑われるなどの症状を発症。産業保健スタッフから「とてもよい経験になりますよ」と勧められて、管理職/金融マネージャ/科学者などの精神疾患者が参加するリハビリ・プログラムに参加。[6]ストレス課題訓練とセルフケア実習を毎日行う黎明期の通院プログラム。6人の心理士から各専門分野の指導を受ける。[7]クライアントに提供しないと言っている認知行動療法もここで半年くらい実践で学んでいます。 スタッフが手を焼く反応的な人、精神病っぽい宇宙人な人、ふつうの気分障害[8]鬱病・双極性障害などなどの患者90人以上と私生活レベルで交流する。そこで「ストレスによるウツ(脳が疲れてる)」と「広義トラウマ(心が助けを求めてる)」の違いを悟る。また、多くの長期化している患者が「病気が治っても幸せにならない」事情を心や家族にかかえていることを知る。

産業カウンセラーから「あなたは普通の病気(鬱病とか双極性とか)やメンタル不調ではないと思う」と言われました。薬物療法の名医から「クスリが効かないねえ。○○について自分で調べてみてください」と助言される。心理セラピストからも「あなたは自分で学んで、自分で自分を助けるのがよさそうだ」と奇妙な助言をされました。

どうやら、私に必要なのは、医療ではなく、生き方だということが明らかになってきました。

心理療法 ~ 私は優秀なクライアント

心理セラピーを学び始めました。とはいえ、日本では珍しい自分自身がクライアント側の体験を重ねるというスタイルです。[9]心理職のクライアント側の体験は欧米では重視されていますが、日本ではクライアント体験をする心理療法家は少ないです。

心理療法(心理セラピー)を学び活用して1つめの苦しみを解決しました。毎日の血まみれの妄想をしていたのですが、それがピタリと止まりました。仲間から「存在マスター」と呼ばれました。

心理療法 ~ 私は難しいクライアント

もう1つの苦しみを解決すべく、師匠のセッションを受けました。そのセッション中に、崖っぷちのような感覚で、身動き出来なくなってしまいました。前に進むと落ちる。後ろに下がると失う。一歩も動けない。

セッションは中断され、見学者のために解説がありました。「これは最も難しいタイプです。こういう人は通常、支援を求めることもなく、変わらずに一生を終える場合が多いです」。

自分がこれを乗り越えられないのであれば、とうてい他者に心理セラピーを提供することはできない、自分は心理セラピスト失格だと悟りました。仲間が見学していましたが、もう彼らともお別れだと思いました。

「私は心理セラピストになれないのですね」と質問したところ、その師は「それは自分で決めることです」と言いました。(「このままでは無理だが、自分次第ではある」というような意味だったのかなと思います)

既存のワークをスモールステップに分解して、自分のための独自ワークを開発しました。そして傷つく練習もしました。私が怖れていた傷は、傷ついてもなおる傷だと気づきました。

ある程度準備が出来たところで、同じ流派の師を訪ね、訓練を再開しました。その師は私に「助けてください」と言う練習などをさせました。

大学や大学院で心理学を学ばなくて本当によかったと思っています。

心理セラピー体験のその後

やがて、自分の中の何かが泣き止みました。泣き止んではじめて、それまで泣いていたことが分かりました。「悲しくないとは、こういうことか」と思いました。「悲しい」が終わってはじめて、悲しくないという体験をしました。

人から言われる印象が、「やさしい」から「あたたかい」へと変わりました。

師匠たち

私には流派の異なる複数の師匠たちがいますが、たいていは私にメソッドを教えません。

私にしか出来ないことをさせるために、それ以外を手放すことを教えます。

そして、「あなたは必ず必要」と言いました。

心理セラピストとしての葛藤

自分がセラピストであることを自覚しはじめた頃から、お話し相手、居合わせた相手の、「死にたい」がケロっとよくなったり、何十年も続いた対人不安が解消したり、ということが起こるようになりました。

一方で、多くの人は自分の心に触れることに強い抵抗があるということがわかりました。多くの人に伝えようと思い、セミナーなどで心の問題を解消するプロセスを話しても、拒絶反応がありました。(今では、もうちょっと上手くやってます)

解決ではなく、気休めの方が求められているのかと悩みました。

しかし、徐々に本当に自由になりたいクライアントと出会うようになってきました。「今までいろんなのやってみたけど、いまいちだった」という人たちが来て、望みをかなえてゆくようになってきました。

全ての人に好まれるというわけにはいかないようです。真正面から取り組みたい方には、あたたかい場を提供できるかと思います。

脚注[+]

stand.fm

心理学のウケウリ紹介ではない、私がこの目で見たことのお話を。 話し手:Kojun https://kojun.net…

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