「どうせ○○だ」と思ってしまう

「自分の人生は失敗だあ」とか、「自分はダメだ」とか、「この世はつまらない」とかの囚われから脱したい。そんなときどうしたらよいか?

まあ、脱したいと思ってるということは、なんとかしたい自分もいるし、どうにもならない自分もいるのですね。

考えにどっぷりつかってしまい、どうにもならない状態はフュージョンと呼ばれたりします。そこから逃れるのは脱フュージョンですね。

いろんな方法があるのですが、独りですぐに試せるものを紹介してみます。

ACT風

アクセプタンス&コミットメントセラピーでは「ラベルを貼るエクササイズ」というのがあります。「どうせ○○だあ」という思考がある、というように「思考」というラベルを貼ります。「考え」「気持ち」のようなラベルでもよいです。その考えや気持ちをあたかもモノであるかのように表現するエクササイズもあるようです。

ナラティヴセラピー風

ナラティヴセラピーの外在化も似ています。名前をつけて対象化します。「私のダメダメくんがまた暴れ出した」みたいに。そして、ダメダメくんの戦略を読み解きます。「ダメダメくんは私に時間稼ぎをさせようとしているのだ」とかです。

現象学風

ゲシュタルト療法の背景理論でもある現象学では、似たような技法を「エポケーする」と言います。

分かりやすく理解するには、その囚われている考えをノートに書いてみましょう。

どうせ○○だ

エポケーするには「」で囲みます。

「どうせ○○だ」

括弧に入れると、「と時々思う」とか「という考えに囚われている」とか「という考えに囚われない選択もある」とか「という考えに囚われているのは仕方ない」などのように外在化しやすくなります。

ラベル名がすぐに見つからなくても、とりあえず括弧に入れるところまでは出来ちゃいます。

深層心裡セラピーなら

これは独りでは難しいので初心者にお勧めしませんが、セラピストと一緒にやるならこんな方法もあります。

ゲシュタルト療法風

「どうせ○○だ」と思っている自分と、もうそんな囚われはやめたい自分で対話するワーク。

外在化したうえで、それを再統合するんですね。

これはセラピストと一緒にいることで一時的に脱フュージョンできているようなときに行います。

プロセスワーク風

「どうせ○○だ」になりきってしまうという方法もあります。「どうせ○○だあ」が自由に動いたらどんなことをしようとするのか、それを確認してしまおうというわけです。本当の望みや本当の心配がなんなのか分かるかもしれません。

慣れた世界を手放して生き方を変えることになるかもしれません。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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