人工知能からみた「無意識」

かつて学生時代に認知科学(AI関連分野)を専攻した心理セラピストが、個人的な視点を呟きます。

実際の脳の構造がこうなっているという話ではなくて、単純化されたモデルやメタファーを使って思考実験をし、人の心を理解する視点を広げてみようというものです。(軽~い構成論的アプローチ)

無意識こそ普通のプロセス

AI(人工知能)のなかでもニューラルネットワークやディープラーニングの仕組みをみていると、その思考や判断のプロセスが説明・解釈を備えるのは応用的な技術とされています。

AIによるパターン認識というのは人間でいうところの直感で、AIによる自動運転も暗黙知です。

そこから人間を振り返ってみると、「無意識」というのは、脳内プロセスのなかで、モニタリング(メタ認知)が伴わないもの全てと考えることができます。

その視点からすると、「無意識」こそがフツーのプロセスなのであって、「意識」が特殊なオプション機能ということになります。

もしかしたら、無意識身体・環境なども関わるかもしれませんが、脳内に限ってもモニタリング無しプロセスがあるでしょう。

「人の行動のほとんどが無意識で決まる」という精神力動アプローチの伝統的な説は、ごく当たり前に思えてきます。

「無意識に支配される」というよりは、もともと無意識が先住民だったのでしょう。

「意識が受け容れられないのもが無意識に追いやられる」というよりは、「モニターされてたものがモニターされなくなる」ということだと思います。レーダーから消えたのではなくて、レーダーが捉えるのをやめただけといいますか。

神経科学者も無意識の存在は認めているようです。

(前略)それから30年を経て、私の無意識に対する考えは変わった。今では、自分の行動が、意識によるチェックを受けずに、癖や直感や衝動によって無意識に引き起こされることに納得している。神経科学を学べば学ぶほど、いかに多くの脳内プロセスに意識がアクセスできないものなのかということにあらためて驚かされる。(後略)

『意識をめぐる冒険』p.151 クリストフ・コッホ

ただし、クリストフ・コッホは無意識は意識できないものであり、精神分析の主張する無意識内容の意識化はとても難しく、新たなフィクションを提供するに過ぎないと主張しています。また、悩みの原因としての無意識を知ることもできないだろうと。

おそらく、意識以外という意味での無意識は広い概念なのだろうと思います。たとえば、人間は一次視覚野(眼からの情報が脳に入ってくる上流の位置)で認識していることを意識することは不可能に近いでしょう。一方で、「あ、私は本当は怒っていたのだ」ということに気づく(無意識の意識化)は心理セラピーでは頻繁に起こります。

つまり、少なくとも意識化不可能な無意識(ハードな無意識、不可能意識とでも呼びましょうか)と、意識化できるけど意識化されていない無意識(ソフトな無意識、抑圧された意識、未意識とでも呼びましょうか)があると思います。

私に言わせると、心理セラピーが無意識をあるものとして扱うのは、原因を探すことが目的ではなく、悩みを解決するための手段に過ぎないので、フィクションや不完全な再生であっても実用上あまり問題にはなりません。心理セラピーの場は、原因の解明とか、物質科学に還元するための研究ではなく、未来をつくるための体験です。

人間は自分の理由をほとんど知らない

結論だけ意識化できるものは、直感と呼ばれます。感情もそれに近いでしょうか。

恋は盲目というのも本当の理由がわからないということかと思います。

たとえば「立派な会社に勤めたい」の本当の理由が「劣等感を補うため」であるということはなかなか自覚できません。

自覚できないのに理由が必要になると、たとえば「収入の安定のため」という偽の理由が作り出されたりします。

※脳内の神経回路を現物通りに再現したものではありません。無意識が意識に先立つという考えが原理的に可能であるとうことを示しているだけです。(必ずしも、意識だったものが無意識化されるだけが無意識ではないだろうということ)

偽の理由にとらわれると、矛盾や自己不一致が起こりやすくなります。この例では、なかなか転職できなかったり、無謀な転職をしようとしたり、といったところでしょうか。

ですが、自己不一致は良い兆しかもしれません。自己不一致すら起きない場合こそ不幸だと思います。

ところで、上記のようなモデルは「無意識」と「意識」を相対化しただけで、「意識とはなにか」については何も語っていないことは承知しておきたいと思います。

脳の前の方にある前頭前皮質と、後ろの方にある視覚皮質のあいだを行き来する情報のやり取りが、特定の経験内容を意識にのぼらせるということは、これまでの実験結果を総合的に考えると経験的には正しい記述であることは間違いない。しかし、この説明は、なぜ、そのような情報のやり取りが意識を生み出すか、という問いに対してはまったく答えていない。

『意識をめぐる冒険』p.250 クリストフ・コッホ

意識の使い方 – マインドフルネス

逆に、自分の行動を支配している認知プロセス(本当の理由)を自覚することができれば、自分を救う行動ができるかもしれません。

よく言われる「頭で考えちゃだめ」は、本来は、偽の理由にとらわれるなという意味でしょう。自己洞察をするなという意味に誤解されていることが多いですが。

本当の理由を知ろうとすることと、偽の理由を作り出すことはどちらも意識のように意識されます。ですが真逆です。

無意識を重視する心理療法は意識を使いこなすものと言われるのも納得します。

マインドフルネスの語源も「正しい気づき」です。

偽の理由ではなく、本当の理由は認知プロセスの自己モニタリングによって知るに至ります。つまり、インプットから判断や行動に至る無意識のプロセスを意識しようというわけです。

後付けの偽の理由に向かわないために、「無意識のプロセスが作り出したもの」ではなく、「無意識のプロセスを作り出したもの」を観察します。

言い換えると、プロセスのアウトプットではなく、プロセスの前の方にあるインプット側を観る必要があるのです。

ですので、マインドフルネスにしても、センサリーアウェアネスにしても、ゲシュタルト療法の「いまここ」にしても、フォーカシングにしても、五感に意識を向けることから始めます。

五感の実践で、モノを見つめたり、呼吸を意識したりするのは、インプット層に配置されたニューロンをモニタリングしようとしているかのようです。

上述の「立派な会社に勤めたい」であれば、求人広告のどの文字を見た瞬間に反応しているかや、「どちらにお勤めですか?」と尋ねられた瞬間に自分に何が起こり始めているかをモニタリングできるようになります。

「マインドフルネス」のイメージ

「気づき」のイメージ

抑圧という回路

「立派な会社に勤めたい」ということの本当の理由、「劣等感」は意識されるのが難しいです。

簡単に意識化されるものは心理学古典では「前意識」と言われます。それは意識によってモニターされていないだけということになります。ですので、マインドフルネスなどにより比較的簡単に意識に繫ぐことができます。それは「気づき」と呼ばれる体験になります。Kojunのワークショップやカウンセリングでやってるやつですね。

それに対して、Kojunの心理セラピーで扱っているのは前意識よりも意識化が難しい無意識を扱います。

意識によるモニタリングを難しくする要因として「抑圧」があります。

抑圧には、劣等感を持っているということについて、恥ずかしいとか、弱い自分は許せないというような、怖れが関わっていると考えられます。

それをニューラルネットワークでモデル化すると、怖れを感じているニューロン群からの信号により、モニタリング(意識化)を妨げる検閲のニューロン群が活性化していると捉えることができます。

怖れをインプットとして、偽の理由を作り出したり、意識をシャットダウンする回路があるということになります。それらを精神分析家は「抑圧」と呼んだのでしょう。

心理セラピーでは怖れを適切な回路へと繋ぎなおしているということでしょうか。

マインドフルネスが五感にフォーカスしたように、この場合は怖れや劣等感にフォーカスします。この作業は「自分に向き合う」と表現されたりします。

怖れを和らげるためには、セラピストが劣等感(隠されしもの)を赦すお手伝いをします。そのためにはセラピストが隠されしものを赦す回路を持っている必要があるでしょう。その回路を「解放」と呼ぶセラピストもいます。

参考

ここに挙げたのは便宜的なメタファーですが、学術へ向かう入門としてはこちらをお勧めします。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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