ポジティブでも、ネガティブでも、怖れは怖れです。
セラピーでは、「私は悲しい」のような言葉を言ってもらう場面と、「私は幸せになります」のような言葉を言ってもらう場面とあります。
ネガティブ感情を怖れて言えない人は、ポジティブ願望も怖れて言えません。
ネガティブ感情を怖れなかった人は、ポジティブ願望に対して開くのです。
これは完全に連動しています。
死にたくない人は、生きたいのです。
悲しい人は、幸せになりたいのです。
恐がる人は、助かりたいのです。
ネガティブを怖れる人ほど、ポジティブを怖れます。
怖れと呼んでいるものは恐怖感情とは違います。
では、怖れない人のそれは何とか呼べばよいでしょうか?
自他のネガティブを赦して、自他の幸せを願うことができる。
クライアントの極限での振る舞いの特徴を観ていると、どうやら、愛とでも呼ぶしかなさそうです。
上述のような「怖れ」を隠し持っていると、「愛」と聞いて、「自己犠牲」や「ネガティブ感情をもたないこと」等を連想しますが、まったく逆です。