怒りがおさまらない。ものごとが手につかないくらい。それをなんとかしたい。そんな悩みもあります。
解消方法は、それがなぜ起きているのかにも依るのですが、参考までに一般的なプロセスのことを書いてみます。
※文章だけで個々のケースに対応できません。これはワークのマニュアルではありません。
相手を変えることで解決するケース
内容によっては、話すことで解決することもあります。
あまり心理セラピーぽくないかもしれませんが、関係性のワークなどで、アサーティブな態度を練習するというようなことはあるかもしれません。
たとえば、誤解を解くとか。あるいは、足を踏んでいる相手に、それに気づいて止めてもらうとか。
しかし、それは怒りの感情を上手く扱えた後にできることです。
別の言い方をすると、相手を変えることで解決するケースといいうのは、怒らなくてもよいケースであることが多いわけです。
※直接的な暴力を受けている場合は、ちゃんと怒る必要があるかもしれません。
自分を変えることで解決するケース
自分を変えると言っても、怒らないようにするという話ではありません。
怒らないようにすることで悩みが解決するなら、それもよいでしょう。ですが、その努力が逆効果で「怒ってません!」と感情的になってしまたりするだけのこともあります。
自分を変えることで解決するというのは、感情を所有するってことから始まります。
自分を変えるというのは、自分の感情に対する知性を上げてゆくということです。感情を所有できるように心を育てるということでもあるでしょう。
感情の所有については後述します。
完了するケース
感情は抑圧しても本当には解消しないものもあります。
ただ、抑圧しているケースはクライアントが「怒りが出すぎる」と自ら言わないことが多いので、怒りで困っているケースにはあまり当てはまらないかもしれません。
抑圧が問題になっている場合は、完了する必要があります。
ただ、「怒りを表出すれば怒りは完了する」というほど単純でもありません。
完了する怒りと、完了しない怒りがある、というイメージでしょうか。
たとえば、その辛さを味わうべきは相手であるということで、相手に思い知らせたくなります。殴りに行くのはさすがに稀だと思いますが、言葉をぶつけに行きたくなります。怒りの爆発ですね。こういうのは完了しません。
※感情の裏にある世界観を変えるために、あえてそのような表現で怒りのワークをすることはあります。
怒りの爆発への対処として、「数を数えていったん落ち着く」というような、とっさの応急処置もあります。自分の思い込みに気づいて考え方を変えるというような方法もあります。それらは抑圧のようでもありますが、怒りの受容を伴うと完了になる場合もあるようです。
本当の感情を探す
原始的な「怒り」ではない場合は、本当はそれは「怒り」ではないのかもしれません。別の感情が形を変えたものかもしれません。
本当の感情を探してください。それが本当の感情(原始的な「怒り」と呼ぶことにします)ではないことに気づく必要があります。
たとえば、劣等感があるゆえに「馬鹿にするな!」と怒っている場合、その本質は劣等感という恐怖なので、それは原始的な「怒り」ではありません。恐怖が裏返っている場合です。
たとえば、期待を裏切られた悲しみゆえに「裏切者!」と怒っている場合は、その本質は悲しみであるかもしれません。
それらの「怒り」は代理感情と呼ばれます。二次感情という概念もそれに近いかもしれません。
代理感情の「怒り」の本質は、恐怖、悲しみの他に、別の怒りである場合もあります。怒る理由がすり替わっているってことですね。
原始的な「怒り」ってなんだろう
原始的な「怒り」は必要なものです。何万年の人類の進化の過程で無くなっていないということは、必要だからあるのでしょう。
もっと遡って、動物にもそのルーツがみられます。生き延びるために戦う、そのための準備として身体のモードを変えます。原始的な戦いは筋肉を使いますから、筋肉に酸素をたくさん送ります。そのために、「ふんがーっ」と息が荒くなったり、血流が増えて赤くなったりします。わなわな震えたりもしますね。体の状態が変わるのは、「怒り」の副作用ではなくて、「怒り」の目的なのでしょう。
原始的な「怒り」は生き延びるためのものです。
また、モノを壊さないと気が済まないとすると、それも原始的な「怒り」ではなない代理感情である可能性が高いです。
原始的な「怒り」の完了への最初の一歩は、怒りの所有であることが多いです。
心理セラピーでは所有してから表現することで完了に導くことがあります。ただ、これを読んだだけで実践できるかというと、難しいかもしれません。半数くらいのクライアントがすぐには出来ないです。
怒りの解放とか完了とかいうのは、暴れることを推奨しているわけではないということは、付け加えておきます。怪我するといけませんから、不用意に暴れないように。
つまり、怒りを所有することなく表現しても完了せず、怒りを所有してから表現すると完了に向かいます。
「怒り」は相手ではなく、自分の中にある
完了させるにしても、代理感情だと気づくにしても、それに先立って感情を所有する必要があります。
怒りが相手ではなく、“自分”の感情であるということが重要です。
「あいつはひどい奴だ!」ではなく「私は腹が立つ!」と言える必要があります。主語が違います。
これを感情の所有といいます。
心理セラピーのクライアントはたいてい大丈夫ですが、日常生活においては「怒っているのは誰ですか?」と尋ねてみると、意外と「私です」と答えられない人は多いです。「私が怒っている」のではなくて「あいつが私を怒らせているのだ」というわけです。
向き合うべきは相手ではなく、自分です。これに気づくのに、数秒の人もいれば、1年以上かかる人もいます。
「悪いのは相手ではなく自分ですよ」という意味に勘違いするという罠に注意してください。誰が悪いかと、誰と向かい合うかは別です。
あなたは「怒り」を相手の像とともに見ていますが、その「怒り」はあなたが持っているのです。
「怒り」は相手ではなく、自分の中にあります。
相手の破滅を望んだり、相手が無価値であることを証明しようとするのは「怒り」ではなく「恨み」です。ある相談員は不幸な人の共通点として「誰かを恨んでいる」と言いました。
「怒り」を抑圧しないように。そして「恨み」は持たないようにしたいものです。数秒でできるひとも、数十年かかる人もいます。
相手の破滅にフォーカスするのではなく、自分が生き延びる(自分の尊厳を守る)ことにフォーカスしましょう。
「怒りの所有」は「怒りの自覚」だけではない
自覚できない状態では所有はできませんが、自覚すればよいというものではありません。
「私は怒っているぞー」って暴れまわるのは、所有しているのではなくて、支配されているのです。
自覚にとどまらず所有を深めるには、怒りの理由も自覚してゆくのがよいでしょう。しかし、独りでやると、怒りの正当化みたいになってしまうことが多いかもしれません。そうなると、ますます腹が立つとなってしまいます。それは感情の解放でもなんでもないので、やめたほうがよいでしょう。
この「怒りの理由」というのが難しいです。「本当の理由」とでもいいましょうか。
怒りの理由を知るには、適切な場づくり、状態作りが必要になることも多いです。
そして、怒りの所有ができたら、別の本当の感情が出てくる可能性もあります。
実際のケースでは様々な事情がからんでいるのですが、多くのケースに共通するところだけ書いてみました。