ここでは、深層心理セラピーに見られるプロセスをジョーゼフ・キャンベルの「英雄の旅」理論をベースに、他の諸理論の概念も交えて述べてみます。
※それぞれの元の理論の詳説ではありません。
人生の法則 – 「英雄の旅」理論とインナーゲーム
神話学者ジョーゼフ・キャンベルは古今東西の伝承や物語を調べ、それらに共通のパターンがあることを発見しました。これを「ヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)」と呼びます。人の成長の過程には一定の法則があり、物語はそれを応援するための古来からの知恵なのでしょう。
「深い洞窟」は自分と向き合うこと、「ドラゴンとの対決」は自分の中の心理的足枷を解くことを表しています。本当の試練(課題)は精神的なものが深くかかわっているということを表しています。その後で、肉体的な闘い、現実との闘いというものへ向かいます。
※「英雄の旅」理論では「深い洞窟」も「ドラゴンとの対決」も精神的な試練とされていますが、「深い洞窟」が内なる闘いで「ドラゴンとの対決」が外なる闘い(現実との闘い)のようにみるとわかりやすい物語作品も多いかと思います。
スポーツ・コーチングでも、1970年頃からアウターゲーム(対戦相手との闘い)とインナーゲーム(自分との闘い)というものが認識されています。たとえば「練習で出来ることが本番では出来ない」といったような心理的課題がインナーゲームです。
インナーゲームは、たとえば「人からの評価が気になる」などの深層心理(意志や心掛けで変えられない心の条件反射)との闘いであることもあります。
心の病、対人不安、ワーカホリックなどは、インナーゲームをやり残したままアウターゲームに挑んでしまったとみることもできます。
人生の後半へ向かうとき立ちはだかる大きなインナーゲーム(最も深い洞窟)を「人生の宿題」「人生の足枷」と呼ぶ人もいます。これを解消しない限り、「使命」や「天命」に生きることは出来ないと言います。
自分が何を恐れているのか無自覚のまま、相手と戦うと不毛な結果になることがあります。
多くの経営者が「そんなことはわかってる」「感情に浸っている暇などない」と言って「深い洞窟」を避けます。その割合は9割くらいのように思います。9割の会社が数年以内で廃業するということと何か関係がありそうです。
そして、経営者が「深い洞窟」を避けようとするときの台詞と、いわゆる心の病の方々の回復が滞っているとき(またはセラピーを断念するとき)の台詞とは、とてもよく似ているのです。経営者がブレークスルーするときの台詞と、人が心の病から回復するときの台詞もまた、よく似ているのです。
これらのことは、ヒーローズ・ジャーニー理論が示すように、人の成長、克服物語には、経営、心の病、人間関係などなどにまたがる共通の何かがあることを示唆しています。それは剣術(アウターゲーム)以外に、心の試練(インナーゲーム)があることも示唆しています。
なお、最近では「マインドセットを変える」とか「モチベーションを上げる」とか「感情コントロール」など、一見すると内なるワークに取り組んでいるかのようでいてアウターゲームに近いもの(浅いいインナーゲーム?もしくは準備いたらない「ドラゴンとの対決」?)もあります。それらは「深い洞窟」ではありません。
心理セラピストは、自他のインナーゲーム(とくに「深い洞窟」)の具体的な場面も目撃した経験があり、そのプロセスをナビゲートする者です。
洞窟の中にあるもの – EQ/アウェアネス/シャドウ
まずは、神話の中にみられる「深い洞窟」の描写を観てみましょう。映画『スターウォーズ』で主人公ルーク・スカイウォーカーがヨーダのもとで修行している場面では、ルークは促されて洞窟に入りますが、「武器は必要ない」というヨーダの忠告には従いません。「武器」はあなたが人生の前半を生き抜くため使ってきた「強がる」「いい人になる」などの頑張り方を象徴しています。その結果、ルークは洞窟の中で自分との闘いに敗れます。
ファイナルファンタジーでも似たような洞くつのジーンがあります。
作品によって表現は異なりますが、「深い洞窟」は大抵は「自分との闘い」「怖れ」などが表現されています。作品によっては「深い悲しみ」が扱われる場合もあります。
洞窟の中では、あなたが人生の前半で身につけた、有能さ、好感、強さなどは役に立ちません。ある種の勇気と想いだけが役に立ちます。
武器を手放せない様子は、現実世界でもこのように表現されたりします。
「だって、やらなきゃ、やられるじゃないですか!」
言っていることが間違っているわけではありませんが、この状態では、内なる深い問題を解決できません。負けることを恐れている時点で、相手ではなく自分に負けているのです。
さて、上の動画の洞窟の中で剣を振り回すルーク・スカイウォーカーを思い出してください。ここで自分が剣を振り回しているのは、ある感情に突き動かされているということに気づく能力で、それはEQ(心の知能指数)とかアウェアネスとかメンタライゼーションとか呼ばれたりもします。自分の心を観る能力ですね。
一方で見えなくなっている自分はシャドウなどと表現されたりするようです。
意識が「敵」に向いている状態では、心のトラップを外すことができません。
自分の心を観ることができてはじめて、心理セラピーを進めることができます。
経営者は社員が変わってほしいと思っている。社員は経営者が変わってほしいと思っている。
この段階では、経営心理セラピストを雇うことすらできません。
心の苦しみを訴えて心理セラピーに挑む人たちは、自分の気持ちを言えているので、ある程度EQが高まっている状態といえるでしょう。
人が「人生の宿題」(心理的な苦手、人生を支配しているパターン)に挑む場面は、「深い洞窟の洞窟」の喩えはよくできているように思います。