心の闇と光「気づかない」から「気にならない」へ

「心の闇」という言葉があるということは、「心の光」もあります。しかし、「心の光」という言葉はあまり使われず、「受け入れる」と表現されることが多いです。

「闇」とは、受け入れていないこと。目をそらしている、本当は有るけど無いことにしていること。その結果、見えなくなっているので「闇」といいます。

では、闇に光をあてる、そのプロセスをみてみましょう。深層心理の深いレベルは体験を通じてしか学べないので、ここでは比較的意識に近い浅いレベルで。

最初の段階:気づかない(=闇)

本当の問題に気づかずに、無意識の何かに操られている状態です。

たとえば、外国人が苦手だったとします。しかし、自分には差別意識はないはずという闇がそれを隠します。外国人のAさんが来たときにストレスを感じます。無意識にAさんを追い出したくなります。外国人に差別意識はないと思っているので、それを正当化する別の理由が作られます。Aさんの言ったことや行動にいちいち激しく怒りを覚えたりします。「あんなこと言うの失礼よね」と。

これは他人の例なので理解できますが、あなた自身に起こっている「闇」をこのように理解・意識することはできません。

※「いや、私はできますよ」と言う人がいたら、かなり闇が深い人です。その人の闇と真正面から対決しようなんて思わないことです。

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ステップ1:気づく

無意識そのものは意識できなくても、自分の中にブレーキや自動反応があることは、「自分の行動の観察」や「感情の内省」で気づくことがあります。

先のAさんの例では、Aさん以外の人が同じ言動をしても反応がおきません。そのことを通して、本当に反応しているのは、Aさんの言動ではなくて、Aさんが外国人だからだということに気づきます。

このステップは、自分の外の問題ではなく、内面の問題に目を向けるという形をとることも多いです。

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途中の段階:責める・否定する

自分に問題があることを認めると、それが悪いこと、自分はダメであるという感じがしてきます。それで苦しむこともあれば、さほど苦しまないけど目をそらす方向へと戻ってしまうこともあります。ですので、ここに留まらないことが大事になります。

この段階の特徴は、良し悪しという評価が支配的に働いているということです。

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ステップ2:赦す(=光)

自分を責めるのをやめます。問題を解決しようとしないというわけではありません。

トラウマを解いてゆく場合は、ここで感情のケアも必要になります。説教家ではなく、心理のプロに相談してください。

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最後の段階:気にならない・反応しない・支配されない

目をそらしていた何かが見えてしまいますが、それ以外にもいろんなことが見えるようになります。たとえば、「本当は恐がっていた」ということを認めると、「恐くなくすにはどうすればよいだろうか」の領域も見ることができるようになったりします。

もっと大事なことが見えることで、見たくなかったものが相対的に小さくなることもあります。

いちいち反応していたことが、あまり気にならなくなったりします。これは目をそむけることとは違い、嫌なものは嫌と自覚したうえで、そこにあまりエネルギーを奪われない状態です。

最初の段階では、「気にならない」と「目をそむけている」の違いを自覚することはできません。「目をそむける」とは無意識をつかって「気にならないふりをする」ような状態だからです。たとえば、「あんなこと気にしてませんよ!」と力んだ状態から、「ああ、あれ嫌ですねえ」と軽く言える状態へと変わります。

 
どのステップも簡単ではありません。この記事はハウツーを提供するものではないので、この記事を読んでも、この通りにできるとは限りません。自分の心と対話するときに、自分がどこにいるのかを知る1つのロードマップです。

もちろん、実践的にはもっと深いです。大きな流れとして、このようなプロセスを望むのであれば、自分の内面の試練にチャレンジしてもよろしいかと思います。本格的に挑戦したい場合は、心理セラピーの事前カウンセリングをお申込みください。

※気づくステップに関しては、Points of Youで練習することもできます。

※他人の闇を解こうとしないでください。一般の方がそれをやると、自分の闇に喰われます。ネイティブな心理セラピストは自分が闇を抜けた経験をもち、さらに心理セラピスト同士で対策を講じています。

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