LGBTQ・ダイバーシティに関する世の動きをみていて思うこと。「緊急的な差別対策」と「本当のダイバーシティ推進(多様性の受容れ)」は、別の活動ではないかと。つまり、ダイバーシティには、2つのアプローチが存在していると思います。
アプローチ1:LGBTは変ではない
1つは、「LGBTは異常ではない」と啓蒙するアプローチがあります。そのために、科学的に「性的指向は脳の反応であって人格や嗜好ではない」ことを示したり、LGBT当事者が左利きや血液AB型の人と同じくらいの数がいると示したり、同性愛は先天的だと教えたりします。
人間は「変なもの(知らないもの、理解できないもの)を恐れる」という心理をもちます。それが「気持ち悪い」の正体だったりします。そして、恐れを抑圧する(隠す)と、否定・攻撃をします。それが差別の正体だったりします。
この差別という現象を防ぐために有効なのが、「それは変ではない」と啓蒙することですね。
ヘイトクライムで殺人(マイノリティが殺される)まで起きる実情を考えると、このアプローチは必要なものと言えるでしょう。
ただし、これは「変なものは差別してもよい」というルールを残したまま、「変じゃない」の範囲を広げたにすぎません。
アプローチ2:変だからという理由で差別しない
人権、多様性と言うのであれば、「変なものは否定・攻撃してもよい」というルールを手放す道もあります。これがもう1つのアプローチです。国際的に進められているのはこちらです。
たとえば、「先天的なんだから、わがままとは違うよ」と教えれば、後天的な人は差別されてよいことになります。
たとえば、「同性愛はフェロモン反応(生理的なもの)であって、それは嗜好ではない」と教えれば、嗜好としての同性愛者やトランスジェンダーを愛するパートナーは差別されてよいことになります。
たとえば、「LBGTは20人に1人以上いる。だから異常ではない」と教えれば、もっと稀なマイノリティは差別してよいことになります。
実際に、異常ではないと社会的に認めらた元マイノリティが、他の種類のマイノリティを差別する現象はよくみられます。(なりたくなかった自分像を攻撃します。聞こえてくるキーワードは「あんなのと一緒にするな」です)
「人権」や「本当のダイバーシティ・多様性」の観点からは、「変なものを恐れて、攻撃する」ことをやめるレッスンが必要です。
そうしなければ、「変ではありません」に該当しなかった人たちは、さらに差別に晒され続けることになります。
まとめ
2つのアプローチをまとめると。
- LGBTは変ではないと教える(「変なものは否定・攻撃してもよい」というルールは残す)
- 「変なものは否定・攻撃してもよい」というルールを手放す
前者は早く効果が出るので、応急処置。後者は時間のかかる根本対策。
学校教員向けリーフレットや、企業の採用担当者が学んでいるのはアプローチ1が中心のようです。一方で、国連が人権問題として扱っているのは、アプローチ2ですね。
日本の学校や組織のほとんどは、まだ「変わった人は排除してもよい」というルールで動いています。