採用担当者のためのトランスジェンダー入門

主に広義トランスジェンダー女性の雇用について、採用関係者のあなたが困っている本当の理由。

差別反対の文章でもないし、対策ガイドでもありません。

ここではリアルな当事者体験から意見を書いてみます。

最重要ポイント

機会か、対策か

トランスジェンダー採用について何らかの対応を検討するとき、次のうちどちらなのか、採用関係者の意思統一をしておくことをお薦めします。

(A)この機会に会社/団体のありかたを考えて、働きやすい職場や住みやすい社会づくりのきっかけにする(マイノリティデザイン1

(B)世間から差別うんぬんと叩かれないように対策する(危機管理)

両方ということはなく、必ずどちらか選ぶことになると思います。

(A)は毅然と自社のスタンスを作ってゆく道でもあります。

ネット上の人事労務専門家コメントには迷走してる

人事関係のサイトには、後述の「診断書を見せてもらいましょう」のような、必ずしもベストではない情報も専門家の助言として多く掲載されているようです。

複数の情報源を持つことと、自身の頭で考えて、自社のスタンスを決めてゆくことをお薦めします。


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日本の古い掛け軸には巨大な猫みたいな虎が描かれています。
虎は日本には生息していないので当時の画家は虎を見たことがなく「大きな猫のような動物」と伝聞して描いたのでしょう。
コンサルさんたちが伝聞を頼りに書いたトランスジェンダー関係のコメントもそんな感じです。

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トランスジェンダー ≠ 性同一性障害

人事の混乱の多くの背景には、「トランスジェンダー」とは「性同一性障害2」または「トランスセクシャル3」のことだという誤解があります。

「外国人」と「アメリカ人」を同じ意味だと誤解しているような状態ですね。

この勘違いを卒業することで、かなり見通しがよくなります。

トランスジェンダー
身体と心の性別が一致しない人
身体適合医療(ホルモン治療や手術)を望まない人も含みますいみ
性別違和・性別不合(旧・性同一性障害)
身体適合医療をするための診断名
(従って、本来は身体適合を望むトランスセクシャルが対象)
身体適合医療をしても後悔する可能性が低いことを判断するためのもの。(客観的な心の性別を判定しているわけではない)

研究者が書いた対応マニュアルなどの書籍も、「トランスジェンダー」という言葉を使いながら「性同一性障害」を前提に書かれているものがあります。ご注意ください。

「当社はトランスジェンダーを排除しない」というのは、性同一性障害以外のトランスジェンダーも排除しないという意味になります。(受け容れる対象が広い)

「当社は性同一性障害(性別不合)を排除しない」というのは、診断書を持たないトランスジェンダーは排除する可能性があるという含みになります。(受け容れる対象が狭い)

多くの大手企業がしぶしぶ取り組んでいるのは後者、「性別違和・性別不合(性同一性障害)の受け入れ」です。その場合は「トランスジェンダーを受け入れている」などと言っては嘘になります。

たとえば、「トランスジェンダーを受け入れています」と言いながら診断書の提出を求めるというのはブレているわけです。(人事コンサルタントの助言によくある間違い)これについては後述します。

診断書をもつトランスジェンダーのなかには、診断書をもたない(または身体適合をしていない)トランスジェンダーを差別する人もいます。

その一因が日本の採用人事にあることも知っておいてください。採用が差別するから、診断書をもたない人が弱者となり差別されるのです。

「普通じゃないから排除する」と「更衣室・トイレを希望通り使わせない」は別件

この2つは別のことです。これらを同一視すると問題が非常に難しくなります。

職場には次の3通りがあるわけです。

  • 普通じゃないから排除する職場
  • 普通じゃなくても排除しないが、更衣室・トイレを希望通り使わせない職場
  • 更衣室・トイレを希望通り使わせる職場

「私はいいんですが、取引先がどう思うか…」

「私はいいんですが、取引先がどう思うか…」「近所がどう思うか…」「他の従業員がどう思うか…」という恐怖は、取引先・近所・従業員の問題ではなくて組織トップや採用担当者の心の問題です。4

そして、すべての問題の正体がこの怖れだった、ということが多いようです。ですので、早い段階でこの罠を抜け出しましょう。

そして、鍵は、実際に当人に会ってみることだと思います。

実際に会ってみて、「取引先・近所・他従業員がどう思おうと、この人は悪くない」と思えたら、それは怖れではなくなります。怖れではなく、課題になります。

トランスジェンダー採用あるある

よくある勘違い「トランスジェンダーが応募してきた」

よく「トランスジェンダーが応募してきた」と思われるのですが、違います。応募してきたのは「一人の人物」であって、「トランスジェンダー」という概念やトランスジェンダー代表が応募してきたわけではありません。

もしあなたが沖縄出身者だとして、求職したとき「沖縄出身者を採用するか」を検討される違和感を想像してください。

あなたがテレビで観たトランスジェンダーと、このたび応募してきたトランスジェンダーは全くの別人です。あなたが扱うのはトランスジェンダーではなくて、ひとりの人間であることを忘れたとき、泥沼のような対応になりがちです。

「女性として扱う」の罠

トランス女性の場合に使われる言葉「女性として扱う」はとても抽象的です。多くの採用関係者がこの罠にはまります。

その中には「女子更衣室を使う」「女子制服を着る」「本当は男だろ、そんな生き方は間違ってる等と否定されない」「髪を切れと命令されない」「冗談で胸を触られない」などなどたくさんのことが含まれます。これらをワンパッケージにして扱うと判断がとても困難になります。

このなかで「女子更衣室を使う」「女子トイレを使う」は採用側にとってハードルが高い要求です。ですが、女子更衣室や女子トイレにあまり拘らないトランス女性もいます。(「だれでもトイレ」でOKとか)

心が女性だからこそ、トランス女性が女子トイレに入ってくることに対して警戒心が起きることを想像できるトランス女性もいます。「疑わしきは疑う」というのが女性が身を守るために必要であることは、たいていの女性が知っています。

今の職場でセクハラされている人や、親の医療費を稼ぐ必要がある人にとっては、そんなことに拘っている場合ではないかもしれません。確認されることもなく更衣室やトイレの理由で不採用になったらたまったもんじゃありません。

「普通の女」とは違う扱いに慣れている人、「普通の女」とは違うことに誇りに思っている人もいます。他の女性を不安にさせたくないという人もいます。

一方で、「髪を切れと命令されない」「冗談で胸や体を触られない」については譲れないトランス女性はもっと多そうです。ですが、これらを約束するのは採用側にとって難しいことではないでしょう。

「女性として扱う」をワンパッケージにしてしまうと、「女子更衣室を使わせるか、それとも髪を切らせるか」の選択になってしまいます。

「あれこれ検討するまえに、本人に聞いてみるべし」と言われるのはこのことです。具体的なことを話し合いましょう。

最も差別的な対応 – 民主裁判

面接より前に「こんどトランス女性を採用するかもしれないが、受け入れられますか?」と既存の従業員に尋ねるのは最も間違いの起きやすい手順です。

それ自体が差別を生み出す行為です。従業員の殆どは会ったこともない人のことを想像できませんから、応募してきた人物とはなんの関係もない、それぞれの頭の中にあるステレオタイプを思い浮かべて判断するでしょう。

ごく一部の経験豊富な人だけが「そんなの会ってみないとわからない」と言うでしょう。

「こんど離婚歴のある人を採用するかもしれないが、受け入れられますか?」と尋ねることがどれほど有害か考えてみるとよいでしょう。「離婚した理由にもよります」「養育費を払ってなかったら最悪ね」などと余計な詮索と裁判がはじまります。

それは、実際の人物を一切見ないで、100%偏見のみで判断することを促す対応ではないでしょうか?

意味のない質問

意味のない質問:

「あなたは本当にトランスジェンダーですか?」
「あなたは女性/男性と付き合ったことがありますか?」「パートナーはいますか?」

なんとなく聞きたくなりがちで、当事者も一生懸命答えてしまうのですが、迷宮入りする可能性があります。面接の時間がほとんどこの話題に消費されます。迷宮入りするのは、これらは本当に知りたいことではないからです。

本当は何を知ろうとしているのか、自問するとよいと思います。

「本物のトランスジェンダー」でなかったら何が困りますか? 女性/男性と付き合っていたら何が困りますか?

なぜそんな質問をしたくなるのか自覚していないと、プライバシーほじくるばかりで、話が終わりません。

もっと具体的なことを質問したほうがよいでしょう。

必要なら意味のあるかもしれない質問:

「トイレや更衣室について要望はありますか?」(対応が違ってくる)
「どのように紹介すればよいですか?」(紹介の仕方が違ってくる)
「そのことはオープンにしますか?」(なにがアウティングになるか違ってくる)
「このようにしてもらうことはできますか?」
「このようなことが起きたらどうしますか?」
「失礼なことを言う客、同僚がいるかもしれませんが、どのように対応しますか?」

いずれにしても、”なぜそれを聞く必要があるのか”を明らかにしながら質問を考えると、迷宮入りしにくいかと思います。

困ったことが起きたときに私たちは話し合えるのか? というお互いの問題解決姿勢を実験してみるとよいと思います。

※質問の文脈や前置きについての作法は省略します。

ジェンダーについてなんにも訊かれない採用面接も何度か経験したことあります。当事者としてはそれががいい感じもしますが。

全てを詳しく聞けば納得できるろうと性的なことを思いつくままに尋ねるのはどういうことか、知っておくとよいです。

人事担当者が順番に応募者役のロールプレイをして、「男性/女性とセックスしたことあるか」「相手はどんな人か」「したことがないなら、それはなぜか」「何歳から何歳まで性的対象になるか」「股間の脱毛はしているか」などを尋ねてみるとよいかと思います。答える側は、心の中で答える想像をします。

その辛さを知ってもらうという意味もあるのですが、このワークを実際にやってみると分るのは、性に関する質問の多くが無意味だということです。

診断書を求める前に知っておくべきこと


人事関係のサイトのQ&Aにトランスジェンダー雇用について「診断書を求める」「医療機関に判断を求める」というアドバイスがありました。これは当事者の実態を知らない専門家の意見だと思います。

診断書というのは「旧性同一性障害(性別違和・性別不合)」のことかと思いますが、これはトランスセクシャル(身体の適合を望む人)が性適合医療を受けるための診断です。(上述)

たとえば、親を悲しませたくないから身体治療はしたくない(曖昧にしておきたい)という生き方もあります。性的にどうであれ自分の子供をつくる可能性を残したい人もいます。トランスであっても生まれたままの自分の身体を愛している人もいます。恋人から「きみはそのままでいいよ」と言われている人もいます。それらの人たちもトランスジェンダーです。

障がい者(精神障碍者、身体障害者など)が診断によって福祉サービスを受けたりすることがあります。それは福祉目的、〇〇支援法の適用の判断のための診断なので、福祉や支援の必要性を判断するような診断基準になっています。具体的には「社会生活で困っているか」「支援が必要か」という項目が入っています。

「障害者だから配慮される」のではなくて「配慮が必要だから配慮させる」ようになっています。障害をもっていても、社会参加や日常生活に困ることがなければ障害者手帳はとれません。このあたり、ちゃんとできてます。

性同一性障害・性別違和・性別不合は、「不可逆医療をしても後悔する可能性が低い」ということを判断するための診断です。目的も診断基準も福祉目的とは異なります。

人事部や上司や同僚を説得するために診断書を取るということの違和感は見失わないことをお勧めします。

診断書のことを「医学的証明」と表現する人事コンサルタントもいますが、それも間違いです。

妊娠や骨折などは物理的に確認できるので証明に近いかもしれません。心のことは物理化学的な確認ではなく、性自認が生涯変わらないであろうとう推定です。実際には気持ちが変化して後悔する人もいます。目的からしても、実態からしても「科学的証明」ではないのです。

とはいえ、性同一性障害を主張する人に対しては、目的を合意して診断書を求めるのは次善策としてありかもしれめせん。

おおまかに、「採用の条件として診断書を求める」場合と「女子トイレ・女子更衣室の利用のため診断書を求める」場合とにわけて問題を論じる必要があるかもしれません。

採用の条件として診断書を求める

ホンモノのトランスジェンダーかを判断するために医療診断を使うというのは深刻な人権侵害となる可能性があります。

診断書が「トンラスジェンダーであること」を証明するものではないことは上述しました。

※本人がトラブル対策として診断書を携帯することはありますが、それは護身の非常手段です。診断書を持っていない人を差別にさらすためではないでしょう。

トランスジェンダーに対して「診断書をとってください」「医学的な証明がありますか」などとは安易に言ってよい言葉ではありません。

それは、診断書の有無で排除されるかどうかが決まる社会を作っていると気づいてください。

診断書をトランスジェンダー証明書として求めるということは、自分の性自認を医者という第三者に決めさせることを強要することであり、「トランスセクシャルにならなければいけない」という強要でもあります。

会社で差別されたくないから、不採用になりたくないから診断書をとるという人が多くいます。

若いトランスジェンダーに手術をしようと考えている理由を尋ねると、「手術をすれば職場でイジメられなくなる」「手術をすれば差別されなくなる」「手術をすれば就職できる」というような返事が返ってきました。

そして、手術をした後で自殺したりリストカットをする人も多いです。

昼の仕事につけるか、社会人スタートから夜の仕事しか選択肢がないかは、とても大きいです。採用担当というのは、人の生き方を矯正してしまうほどの権力をもってしまっていることを自覚してください。

人事部や採用担当が「トランスジェンダーは手術しなければいけない」という世界をつくってしまったのです。

その呪いを解くことができるのも人事部や採用担当だと思います。

もともと身体と心の性別が一致しないのがトランスジェンダーだったのですが、「一致させたら昼の仕事に受け容れるよ」となってしまいました。まるで「肌を白くしたら黒人差別はしないよ」みたいです。

差別をなくしてゆくにあたって好ましいのは「差別する理由をなくしてゆく/差別する理由がないことに気づいてゆく」ことです。

一方で好ましくないのは「差別しない理由/許す理由を見つけてゆく」ことです。診断書を求めるというのは、後者「差別しない理由を見つける」アプローチを選んでいるということです。

女子トイレ・女子更衣室の利用のため診断書を求める

これについても、診断の目的と使い方が一致していないとうのは、前項と同じです。

次善策としてありえるかもしれませんが、私はこのアプローチには反対です。

診断書をもっているから女子トイレに入ることを許可せよというアプローチで他の女性が納得することを期待するのは無理があります。

女性の心があれば、「医者ではなく私がどう思うか」が置き去りにはれた時点で拒否反応が起こるのは想像できるかと思うのですが。

ちなみに、診断書をもっていても、女性の下着や裸体をみて興奮するトランス女性もいます。悪ではありませんが、性指向と性自認は別ということです。
診断書をもっていなくても、周囲から女子トイレを使うことを許されている人もいます。診断書もなく、身体は男性のままで、一緒にお着替えする女性たちがいる場合もあります。

他の女性たちから、診断書があっても拒否されている場合、診断書がなくても拒否されない場合があることは知っておいてもよいでしょう。

他の女性たちが嫌がるかどうか、という問題を医者や診断書は解決できません。

場の管理者は、他の従業員たちに当事者を排除する権利を与えてもいけないし、当事者の言いなりになってもいけないということです。

数年前まで変わった人を採用することを恐がっていた会社が、いまは差別だと叩かれるのを恐がっているのだとしたら、場の管理者が恐怖に従って行動していることに変わりありません。

要するに人事担当者が診断書の提出を求めたくなるのは責任を転嫁したいのではないでしょうか。「性同一性障害」という印籠を使って解決しようとしていること自体、怖れの表れです。

信念に基づいて差別をなくしてゆくのと、差別してると非難されることを怖れているのは、結果は同じにはなりません。

多くの場合、診断書があったとしてもまったく一般の女性と同じように扱えない場合があることを了解してもらうことの方が現実的でしょう。

このトピックは後述の「安全性の問題」でもう一度とりあげます。

昼の仕事に応募するトランスジェンダーが診断書を持っているケースは多いでしょう。持っている人はそれを提示することに大抵は抵抗がありません。なので、人事コンサルタントなどは、それで問題ないと思っているのです。しかし、それは扱いにくい者を切り捨てる方法のアドバイスであって、ダイバーシティのためのアドバイスではありません。

本当に懸念していることはなにか

私がこれまでに出会った、雇用者は次のように分類できす。

問題視しない人はこの章のヒントは不要でしょう。

この章では、上記の心配する人がたどり着くであろう結論を書いてみます。

心配というのは、実は次のような懸念が変換されていることが多いです。

  • 業務上の支障があるのではないか
  • 安全性の問題があるのではないか
  • 社会性に問題があるのではないか

未知なるものへの恐怖

これは、ご自身の中にあるものなので、ご自身の問題です。「いや、ちがう! あの人がヘンだから仕方ないんだ」という声が聞こえてきそうです。

この恐怖を自分のものだと自覚しておかないと、当事者を不必要に質問攻めにすることになります。そして、いくら問い詰めても心配はなくなりません。なぜなら、恐怖は相手(応募者などの当事者)にではなくご自身(採用側)にあるからです。

あなたは何を怖れているのですか? これについて正直に答えることができる人は稀です。ですが、自分は未知なるものへの恐怖で取り乱しているのだと気づくことはできます。

そしてこれは、ビジネスのあらゆる場面で必要な力でしょう。

ビジネスにおいて「普通ではない」「前例がない」「よそがやっていない」などは、恐怖を生じます。心理セラピストとしてのオススメは、「その恐怖を感じないようにしよう」ではなく「その恐怖を感じていることを自覚しよう」です。

よい練習になりますよ。

業務上の支障

たとえば事務職が忍者衣装で出勤していはいけない理由は「非常識だからだ」と思われていますが、実は業務上の支障があるからではないでしょうか?

たとえば「接客に支障があるのではないか」「不真面目に遊んで仕事をしないのではないか」など想像していることがあるはずです。

まずは「非常識であること」、「普通でないこと」自体が問題なのではなくて、なんらかの業務上の支障を懸念しているのだということに気づいてください。

これをやっていくと、頭がどんどん柔らかくなってゆくことに気づくでしょう。

参考事例:東京ディズニーランドの入場制限

東京ディズニーランドは女装の入場を禁止しています。その理由は、へんだからではなくて、キャラクターよりも目立つと支障がある、子供たちが恐がると支障があるからだそうです。

ルール上は禁止ですが、とくに目立たない自然な女装はトランスジェンダーでも趣味女装でも入場できしまうそうです。また、同じ経営下のディズニーシーは大人向け施設なので、女装禁止ではありません。

どんな懸念があるかを挙げて、ひとつひとつ現実的にはどうなのかを確認してみるとよいです。

「いや、その人が普通になれば済むことじゃないか」「普通の人を雇えば済むことじゃないか」に逃げないで、「なにが困りますか?」です。

たいていは、その職場の心理的弱点が出てきます。これをやり抜くと、へんな自信がわいてきますよ。がんばって!

安全性の問題

具体的には、更衣室、トイレ、宿泊の男女区分のことです。

トランス女性が「女子更衣室を使う」「女子トイレを使う」はハードルが高い要求です。

少人数でも嫌がる女性メンバーがいたら安全は脅かされますから。多数決ではありません。

当事者含めて勘違いしてますが、「性自認」というのは本人の主観なのです。本人が女だと思っても、他人がどう思うかは別です。「性他認」があります。そしてそれは人数分あり、各自の判断も揺らぎます。

「性他認」はパス度5とも異なります。身体の性別移行とも異なります。

パス

トランスジェンダーや異性装であることがバレない容姿のことを「パス」と言いますが、「合格」という意味ではありません。語源はスパイ用語で、変装などがバレずに税関を通過することだそうです。ちなみに、バレることを「リードされる」と言います。バレるけど問題ないことを「ライトする」と言うように提唱している人もいました。(参考リンク

客観的な「心の性別」はありません。あるのはせいぜい「性自認」と「性他認」です。

安全性の問題は性他認の問題なのですが、性自認の問題とすり替わります。

「本物のトランスジェンダーなの?」

そして、偽物が「偽物です」と言うはずもないので、性自認の話は、さらに容姿・身体・性指向の話へとすり替わります。

「ほんとに女だったら、もっとキレイなはずだ」「手術したの?」「女と付き合ったことないんでしょうね?」の裁判が始まります。

問題が、すり替わり、すり替わりしていますのでこの裁判をしても解決はしません。当事者のプライバシーをボロボロにするだけです。

「キレイで、手術済みで、女に興味ない」としても、他の女性メンバーが不安や不快をもたないとは限りません。容姿・身体・性指向は性他認に影響しますが、性他認ではないからです。

これを差別と呼ぶのはやめたほうがいいでしょう。これは「差別」ではなくて「本音」です。

容姿・身体・性指向についてのトランスジェンダー裁判に本人が勝利したとしても、「ほんとかよ」とか「キモイものはキモイ」という気持ちが残ります。それはイジメや疎外という別のかたちで当人を排除する可能性があります。

ナントナク拒絶権

女性は性的なリスクに対して、疑わしきは拒絶する「ナントナク拒絶権」を必要としています。他人の車に乗ることを拒否できますが、そのとき相手に悪意があることを証明できなくても、「なんとなく嫌な予感」「イヤなものはイヤ」で拒否できなければいけません。

健全な女性は「ナントナク拒絶権」を奪われることに強い抵抗を示します。

女性がトランス女性の女子トイレ使用に抵抗するのは、「トンラス女性が女子トイレを使うことそのこと」への抵抗よりも、「トンラス女性が女子トイレを使うこと拒絶する権利(ナントナク拒絶権)が奪われること」への抵抗が大きいことは承知したほうがよいでしょう。

よく知られている現実的な答えは、第3の場所(ジェンダーレスのトイレ、一人用更衣室など)を用意できるかという問題になります。それについて出来ることを提案して、本人が受け入れるかです。

心が本当に女性なのか裁判をしても、容姿・身体・性指向の裁判をしても解決の可能性は低いです。

「性他認」を理解しないトランスジェンダーの場合は、他の女性と同じに扱うことを要求するかもしれませんが、トランスジェンダー本人側にも「本当に懸念していることはなにか」を自問してもらう必要があります。自問の機会を提供していただけると幸いです。

性他認に対して当人がどれくらい寛容かを確認することをオススメします。

社会性の問題

世の規範からはみ出しているわけですから、人格や性格的が心配ってことですね。

LGBTQに限ったことではないと思いますが。

ここでも、ホンモノのトランスジェンダーかどうかを問うてもしかたありません。ニセモノが「ニセモノです」と答えることはないでしょう。

まともな人格のトランスジェンダーなら、なにを基準に判断されるのかわからず当惑します。

そして、そもそも、

ホンモノのトランスジェンダー = まともな人格(社会性あり)

ニセモノのトランスジェンダー = 厄介な人格(社会性なし)

という思い込みははずしておきましょう。

厄介な人物というのは、LGBTQをネタに一方的に権利をふりかざすとか、わさわざ差別されそうなことをして「差別だ、差別だ」と騒ぐ人でしょうか。

これは「差別されていることを証明するために、被差別体験をコレクションしてしまう」強化サイクルという心理現象ですが、ホンモノかニセモノかは関係ありません。強化サイクルは無意識なので、本人も自覚はありません。

たぶんあなた(採用担当者)が社会性について知りたいのは、この強化サイクルを持っているかでしょう。

ホンモノかどうか確認したくなるのは、「ホンモノなんだから差別するな」ゲームに採用側が既に飲み込まれているのです。

よーく考えてください。ホンモノ(?)のトランスジェンダーにも社会性のない者はいます。ニセモノ(なんちゃってトランスジェンダー、勘違いトランスジェンダー?)にも社会性ある者はいます。トランスジェンダーのホンモノ度(?)に応じて優遇する必要はないでしょう。

トランスジェンダー裁判

トランスジェンダー女性が「あなたは本当に女なのですか?」と問われたら、採用される(社会から排除されない)ためには「はい、本当に女です」と答える必要があります。それは本人がなりたい「女」ではなく、世間がイメージする通りの「女」になると約束し、毎日周囲から合格点をとり続けますという意味です。それはつまり本人が言っているようでいて、じつは「私は女です」と言わされているわけです。

数年前にトランスジェンダー女性たちが一斉に「私は女ではない」とつぶやき出したことがあります。「私は女ではない。トランスジェンダーでもない。私は私だ」と。これはトランスジェンダー裁判を受けないぞという意味かもしれません。

自社のスタンスを明らかにしてゆくにあたり、この「私は本当に女です」と宣言しない人を受け入れるかどうか考えてみるのもよいでしょう。

ホンモノ=性同一性障害?

一般的なな企業のLGBTに関する取り組みでは、トランスジェンダーを受け入れると言うとき、ほぼ性同一性障害を指しています。「性同一性障害を受け入れる」なのか「ジェンダーの多様性を受け入れる」は全く異なることであり、スタンスを決めることになります。

ちなみに、私は仕事仲間やジョイン先の企業から「あなたは本当に心が女ですか?」と問われたことは殆どありません。たぶん、どうでもいいからでしょう。

私なら、これまでにどんなトラブルがあったか、どのように解決したかを聞いてみるかもしれません。

おすすめ参照

お勧めページ

こちらのページはシンプルに結論が書かれています。

お勧め動画


2018年 毎日新聞「自分のまま」で働く

珍しくLGBT活動家ではないトランスジェンダーが取材されています。

採用と意思

「採用」という仕事は聖職

採用担当とは聖職だと思います。人類のゆくえを左右します。


2016年 国連 「排除の代償」

はたして、経済損失の問題なのかという疑問もありますが、自殺率やホームレスの統計は興味深いです。雇用者による差別によって才能・能力・生産性が失われることは公共サービスの低下にもつながると言っていますが、これは私の身の回りでも実感するところです。

とはいえ、トランスジェンダーが人権を振りかざいしていろいろ要求されても、正直なところ迷惑でしょう。面倒なことが起きるまえに、最初から雇わない。書類審査で普通でない人は落としておく。それもわかります。

「当社は先代が残した酒蔵の技術を守るため必死」「プレハブ小屋からはじめた会社がやっと成長してきて、これまで頑張ってくれた従業員たちにやっと報いようとしている」「こんどの年末商戦に社運がかかっている。失敗したら従業員をクビにしないといけないかもしれない」などなど。「トランスジェンダーの更衣室問題なんか扱っている場合ではない。LGBTQの人権のために会社をつくってきたわけではない。そんなことより会社を助けてくれる人材を探しているんだ」

できること、できないことを明らかにして、毅然とした採用活動でよいと思います。

その一方で、なんの害もない変わった人たちを死に追いやらないようにもしていただきたいと願います。

トップの意思で決まる

結論を言ってしまうと、トランスジェンダーやノンバイナリーを排除せずに採用検討するかどうかは、おそらくトップが決めるしかないでしょう。

教科書の正解に従って対応すれば誰からも文句言われない、なんてことはありません。

トップが「当社はこの人を仲間に入れます。それを嫌がるメンバーは去ってもいいし、それを嫌がる顧客は要りません」と言う勇気がなければ、採用されたトランスジェンダーは社内差別に晒されるでしょう。

自覚のすすめ

差別を自覚する

差別を自覚することなく、差別をやめることはできません。

最初から「差別してはいけない」とうい前提では、差別してないつもりで差別しているという罠にはまります。ほとんどの差別的な企業は差別しているつもりはありません。

いったん自分たちに差別を許してみて、自分が差別していることに気づく必要があります。

恐怖を自覚する

差別のもととなる嫌悪には2種類あるとう観点も自覚に役立つかもしれません、

・その人自身が感じる嫌悪(イライラする、気持ち悪い、住み慣れた秩序が壊れる)
・人にどう思われるか心配する不安(客や近所がどう思うか)

「なんとなく普通じゃないから不採用にする」の正体は、この「人からどう思われるか」という恐怖のようです。

ルッキズムを自覚する

もう1つの参考になる観点はルッキズムです。容姿をどのように要求しますか?

容姿で人を選別することは悪いこととされていますが、実際にはトランスジェンダーは容姿を厳しくチェックされます。

求めるのはパス度でしょうか、美醜でしょうか、それとも身嗜み(みだしなみ)でしょうか。

そしてその理由は?

診断書の有無で扱いを変えるかどうか、ということについて別章に書きました。容姿についても似たようなことが起こります。


ちなみにトランスジェンダー当事者のなかには、パスしない人は排除すべきだと考える人もいます。

おそらくこれは、慣れというものが関係しているかと思います。慣れてないものは気持ち悪く見えるということです。それは恐怖が作り出している気持ち悪さです。外国人や障害者の差別に似た部分があります。

おそらく、さまざまな当事者に会うことがカギではないかと思います。何人かの当事者に会うことで、未知なるものへの怖れ(慣れの問題)は解消して、印象判のバイアスが減るように思います。

当事者には「LGBTQの社会心理(被害者・加害者・正義)」で説明しているシャドウや同族嫌悪という心理バイアスが働くので、むしろ印象判断が難しくなります。非当事者ではない人は慣れによって判断が容易になる可能性が高いと思います。

慣れの実践のときに必要なのは、気持ち悪いと思ったときに、その人そのものを見てゆくことであり、診断書や病名などの「その人がそうであるのは仕方ないのだ」という許す根拠を求めないということです。差別しない理由が必要なのではなくて、差別する理由がないことを知る必要があります。

ちなみに、私はパスしてませんが、東京のある土地で街の人たちに可愛がられて平和に暮らしてきました。お仕事も心理相談、企画、講師、受付などしましたが、容姿のトラブルはありません。

だから、多くの職種でトランスの容姿なんて実はなんの問題もないと知っています。

村人がライフルや松明をもって家を囲んで「バケモノ出てこーい!」と叫ぶなんてことはありませんでしたよ。

しかし、採用担当者によって「トランス女性は美しくないと抹殺される」ということが現実になってきているのも事実だと思います。

ホンネの採用条件を見える化

漠然と次のような事項が採用を検討する条件になっていることが多いです。これらを条件にしているか、自問して明確にしてみることをお勧めします。

「普通じゃないこと」「おかしくないこと」「まともであること」「常識を逸脱していないこと」などと言わずに、具体的な条件項目として見える化すれば、少しずつ採用の方針が育ってくるでしょう。

〔トランスジェンダー裁判でよく問われること〕

  • 戸籍を変更している
  • 性別違和/性別不合(旧・性同一性障害)の診断書があること
  • パスしている(トランスジェンダーであることがバレない容姿・振る舞いである)
  • 埋没希望である(パスに加えて、出生性別を隠して生活する)
  • 容姿が美しいこと
  • 容姿の印象がよいこと
  • 扱ってほしい性別と、性表現(服装など)が一致していること
  • 扱ってほしい性別と、性他認(他者がどう思うか)と一致しやすい性格・雰囲気であること
  • トランスジェンダーであることが揺るがないこと
  • 毎日同じ性別であること(ジェンダー・フルーイドでない)
  • トランスジェンダーであることが揺るがないこと
  • 異性愛者であること(トランス女性が女性に対して性欲がない)
  • 趣味女装/男装ではないこと(趣味かどうかの基準は?)

ちなみに、私がこれまでお世話になった職場は、このいずれも要求してきませんでした。

私が経営者なら、性格が悪い性同一性障害の人よりも、趣味女装でも性格の良い人を採用しますけどね。

参考:ジョグジャカルタ原則

ですが、差別的なルールであってもいったん書き出してから考え直す方が、骨身になるでしょう。

そして、もう少しリアルな条件が挙がってくるでしょう。「更衣室・トイレについて・・・の条件に同意すること」「男女いずれかの指定の制服を着ること」「私設利用者の子供たちへの説明を明確にすること」などなど、合理的配慮の自社における限界が出てくると思います。これも感情的に議論するまえに、明文化するとよいと思います。

なお、当事者も自分がギリギリ合格するルールを支持する傾向(マイノリティによるマイノリティの差別)を示す場合があります。

たとえば、診断書を持っているトランスジェンダーは「診断書を持っていないトランスジェンダーが受け入れられないの仕方ない」と考え、容姿がパスしているトンラスジェンダーは「容姿がパスしていないトランスジェンダーが受け入れられないのは仕方ない」と考えるなどです。

一人の当事者の意見がトランスジェンダー全体を代表するわけではないことに注意も必要です。

そして、LGBT対応をしたところで、当社の差別体質はなにも変わってないんだなと気づいたところから、やっと多様性とかマイノリティデザインとか誰もが働きやすい職場というようなものの意味がわかりじめるのではなないかと思います。

たどりつく先

おそらくたどりつくであろう結論を述べておきます。

つまり私を受け入れた職場はどうだったかを述べます。

多様性を受け入れる土壌がある職場では、「まず人物をみて、仲間にいれたいと思ったら、SOGIEな問題の解決をはかる」となるでしょう。

差別のない職場は、最初からそうでした。

一方で、ある職場では「まずSOGIEなことをチェックして問題なければ、採用するかを検討する」となっています。これは採用されても多難を予感します。

(よみぃチャネル より)

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