児童虐待防止施策の気になるところ – 正義の功罪

児童虐待について法整備がされ通告義務などが知られるようになってきました。昔ながらの心理セラピスト視点で、またぶっちゃけたことを書いてみます。賛否あるとは思いますが、あえて言うならというお話です。

世代間連鎖と克服意志のある保護者

児童虐待については、虐待している保護者の救済・援助については語られることが少ないです。

高齢者虐待や障害者虐待については、虐待者である/なる可能性のある擁護者(主に家族)の支援が法律で謳われていますが、児童虐待にはそれがありません。

また、「虐待かなと思ったら通告を」というポスターや電話番号はあっても、「虐待しているあなたのための相談窓口」というようなポスターは日本にはありません。(ドイツにはあるそうです。)

正義モデルになってしまっている。

私は愛着などのテーマで虐待加害者になりかけたいる人のひっしの克服に立ち会うことがあったので、そのような正義モデルには恐ろしさを感じます。

実は虐待をする保護者は世代間連鎖1に組み込まれているケースがあります。政府も児童虐待のリスク要因5分類のひとつ「保護者の愛着」として認識しているようです。

ここでお話したいのは、世代間連鎖になっているような「保護者の愛着」が要因となっているケースで、かつ、保護者本人が問題を自覚していて克服したいと思っているケースです。そのような人を克服意志のある保護者と呼ぶことにしましょう。

愉快犯のような虐待ケースは別です。

キャンペーンと通告義務の功罪

虐待を行っている保護者というのは悪者の印象が社会的に強いです。通告先は児童相談所などなのですが、通告の約半数が警察経由というのも、そういった印象が影響しているのだと思います。

本人も問題だと認識しているのですが、やってしまっている。そんな克服意志のある保護者の場合ですと、この通告義務というのはちょっと厄介です。裁かれそうで、恐ろしいと思います。

たとえば、そのような方は心理セラピストに相談に来たりして、実際に克服された人たちもいました。ですが、虐待の話をきいたセラピストは通告しなければいけない、そして通告を受けた児童相談所は24時間以内に立ち入り調査をしなければいけない、というルールがあると、もはや当事者は心理セラピスト等に相談することもできないわけです。

心理セラピストに限ったことではなく、信頼できる誰かに相談することができなくなってしまうかもしれないわけです。

克服意志のない保護者もたくさんいますので、通告の制度を否定するつもりはありません。懸念は、相談するハードルを上げちゃってるんじゃないかなということです。

ACサバイバーや心理セラピストが見てみてきたもの

ひと昔前に、アダルトチルドレンのワークショップなんかに行くと、グループワークの中で参加者が「連鎖を断ち切りたい」と語る場面などがよくありました。そのように意思を口に出すことはとても重要なことです。

そのようなワークショップでは、虐待を受けたことのある参加者もいる中で、自分の加害傾向を話すことはどれほどの勇気ある準備してきたことでしょうか。その挑戦はまた、他の人の連鎖をも止める力をもっていました。

虐待を許せないと息巻いている正義の専門家や先生たちよりも、そのようにして連鎖を断ち切ってきた人達こそが本当の功労者だと思います。

ですが、通告義務ということを考えると、ワークショップの主催者や参加者はそれを通告しなければいけないことになります。そのルールをまじめに守っていたら、そのようなワークショップやピアサポートで生き延びたサバイバーは生き延びなかった(虐待の継続を含む)かもしれません。

また、昔ながらの心理セラピストは克服意志のある保護者から「助けてください」と言われることもありました。それはたいてい「(私が虐待している)子供を助けてください」という意味なのですが、多くの心理セラピストはこのように答えていました。

「子供を救いたければ、あなたが幸せになりましょう」1

子供優先という行政の指針と照らすと叩かれそうな考えですが、ある意味でそうなのです。

これは、悪者として裁かないという意味では寛容な態度なのですが、「親である自分が克服から逃げて子供だけ助けてくださいというのは虫が良すぎるよ」という厳しい助言でもあるのです。

いずれにしても、誰にも言えなかった虐待の秘密を打ち明けても裁かれないという体験がとても重要でした。これは、同じような場に参加していた虐待された側の人たちも同じです。

あ、そのようような場では、虐待された人も、虐待してしまう人も一緒に仲間として取り組んでいました。そこで出会った当事者たちはどんなカウンセラーや支援職よりも信頼のおける人たちでした。

心理セラピストは闇に寄り添う仕事だった

心理セラピストなんてのは、世の中からダメと烙印をおされた人たちの味方をすることが多い仕事でした。

メンタル不調の人たちの支援なんかしていると、社会的地位のある人たちから「お前らがそうやって甘やかすからサボるやつらが増えるんだ」などと何度も批判されてきました。セクシャルマイノリティもしかり。

世代間連鎖のサバイバーもそうですね。「子供が虐待されているのに、親の味方をするなんてけしからん」というように。

悪の味方として、よく叱られます。あまり尊敬される仕事ではないのです。善人ではありませんし。

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当事者視点で制度をみてみる

現代の実際のところでは、克服意志のある保護者が相談に現われたら、通告というよりはご自身で児童相談所に連絡してもらうというのが現実的かなと思います。というか、通告義務が周知されたので既に相談に来なくなっているのですが。

私は対人支援職である以前にサバイバーであり、社会や公共機関から見捨てられ、存在を否定されてきたマイノリティーです。セラピー業や支援業も当事者視点ですので、通告や自主通告するとどうなるのか、気になります。

当事者の世界を知らない対人支援職は通告に疑問を持って持たないかもしれません。驚くほど教科書や権威を信じているので、公的機関に繋げば後の心配はしない人が多いです。

当事者が公的な窓口に連絡するということがどういうことなのか、当事者の視点で確認しておきたいと思います。

福祉や対人支援職としてどうあるべきかではなくて、克服意志のある当事者の視点から児童虐待防止の制度をみてみましょう。

 厚生労働省の「手引き」の中に「虐待を行っている保護者からの相談」という項目があり、次のように書かれています。

(虐待を行っている保護者からの相談に対して)

非難や批判をせず、訴えを傾聴する。共に問題を考える姿勢を示し、必要な場合には解決への方法や見通しについて、具体的な助言や指示をする。

厚生 労働省の「子ども虐待対応の手引き」( 第3章 通告・相談への対応)

「非難や批判をせず」とありますので、公的な機関に相談してもいきなり裁かれるというものではないということでしょうか。

また、「共に問題を考える」なので、本人が心理セラピーなどをするというなら、一方的に否定されることもないのかもしれません。

また、児童虐待への対応は「在宅支援」(施設などに子供を引き離さない)が9割だそうですので、とにかく引き離せというスタンスではないことがうかがえます。

また、以前から「親権の停止」というのがあったのですが、法改正で「親権の一時停止」という措置が追加されました。これも、引き離せばよいというものでもない、保護者を排除すればよいというものではないというスタンスを感じます。

政府ガイドラインでは 「子供を救いたければ、あなたが幸せになりましょう」 の余地は否定していないように見えます。ただし、専門家には裁きや矯正を強調する人もいます。

私が当事者なら匿名で電話して、慎重に印象などを確かめてから相談しますね。

児相に電話してみた

ちなみに、私がある児童相談所に電話していくつか尋ねてみた印象では、原則として相談者(当事者でも)の秘密は守られる、本人の主体性は尊重される(ああしろ、こうしろと言うスタンスではない)ようでした。また、用意された支援体制を適用するために、本人が選んだ民間のカウンセリングをやめさせられたりもしないようです。

ただ、通告ではなく加害傾向の本人からの連絡を薦めるケースについても、あくまで「通告」という言葉を使う人もいて、日本の制度としては「相談窓口」よりも「通告窓口」なのだなと感じる部分もありました。

また、児童相談所以外にも親向けの相談窓口はあります。

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