人の心の悩みの鍵は、動かそうとすると動かないことがあります。
「解決しようとすると解決しない」
それが、私の得意分野です。
「恐怖症だから、慣らす」とか、「動けない人を動くように促す」とか。そんなのが上手くいかないとき、「隠れた本質」というものがあります。
「問題が見えたら、それを取り除こうとする」「ゴールが見えたらそこへ向けて引っ張る」とか。そんなのが上手くいかないとき、なにかが置き去りにされようとしています。
具体例は実に様々。
たとえば、性暴力被害者へのセラピーでもよく提案される、認知行動療法や暴露法。これらは問題を取り除こうとするアプローチ。そもそも、◯◯被害→◯◯療法という辞書引きは、クライアント(来談者)の声に耳を傾けていないように思います。症状は本質ではなく、自分に跳ね返ってきた罪悪感や、助けてくれなかった他の男たちのことなどなど、扱うべき鍵は本人から出てきます。
自信がない、八方美人、ワークホリッ、・・・すべて意味があって、本質を守っている。抗生物質で退治すればよいウイルスとは違い、それらの悩みは必要あって招かれたものであることが多いです。それは、その人の大事な人生の一部であったりします。
私のクライアントは「悪いところをなおしにくる」という感じでもない。
悩みを解決したいのですけど、その「解決」が医療やメソッドの意味する「解決」とは違うように思います。