支援メソッドという矛盾

カミングアウトしたことで幸せになった人たちはいます。だからといって、「カミングアウトしましょう」と言うのはひどいことだと思います。

加害者を許して楽になった人たちはいます。だからといって、「許しましょう」というのはひどいことだと思います。

自己開示して心の問題を解決した人たちはいます。だからといって、「自己開示しましょう」というのはひどいことだと思います。

ワークショップの企画打合せなどで、いかに参加者に自己開示させるかが話し合われているのを何度か目撃しました。自己開示できない人たちを「だからダメなんだよ」と蔑む発言もありました。

「○○したら上手くいった」というプロセス事例から逆算して「上手くいかせるために、○○させる」というメソッドがつくられます。私たち支援者はそのメソッドを使うわけです。だから上手くいかないのです。

ご本人がプロセスを進むときに、世間の多くの人たちは「やめなよ」と言います。プロの支援者は「やめなよ」と言わず見守るくらいでちょうどよい。「やりなよ」は余計だったりします。

ただ、いろいろと例外があります。

私のようなオネエキャラに「やりなよ」を言ってもらいたい人たちもいます。それは既にご本人がプロセスを進めているのです。私は心理支援のプロなので、「やりなさい」はなかなか言わないのですが、「やっちゃいなさいよ」と言わされることはあります。ダチョウ倶楽部の「押すなよ、ぜったい押すなよ」みたいですね。

心理セラピーでも、背中を押すことを依頼されたりします。これは「契約」と呼ばれるものの一種で、「私は自分の望む変化のために、いつもと違うことをする必要があるでしょう。そのための指示をしてください。挑戦してみようと思います」というものです。その場合でも、セラピストの指示に従わない自由が本人にはあります。

まともな心理セラピストほど、成果を出すことに執着しないわけです。それはヤル気がないのとは全く違います。自分の成果を捨ててでも支援を優先するということです。

だからメソッドを使うけれども、メソッドが人を幸せにするなんて信じていないのです。

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