高齢者虐待(暴力、ネグレクトなど)の話を聞くたびに感じることがあります。
私のクライアントは中年期の方が多いですので、親の介護が近づいている方、親の介護などを終えてから自分の人生の宿題をやりにくる方もいます。4人に1人が高齢者という時代となり、自分が高齢者でなくとも今後ますます、身近な話題となるでしょう。
ここである仮説と提案を述べてみたいと思います。
高齢者の周囲にいて、高齢者虐待をしてしまいそうな人(B)は、行動分析をしてみるとよいでしょう。
※提供セッションでは認知・行動アプローチは殆どしないよと言っている私が言うのもなんですが。(笑)
通常の行動分析は通常、先行刺激・行動・結果の3項で分析しますが、ここでは感情を含めて4項で分析します。これを感情行動分析と呼ぶことにします。
虐待する側、高齢者側の双方について感情行動分析を行います。1
高齢者虐待の感情行動分析
Bの感情行動分析をしてみましょう。
高齢者虐待になりそうな状態にはこのようなパターンがみえるのではないでしょうか。
※疑似解決とは「黙らせた」「後悔させた」などの一時的な効果(イラッが軽減)のことです。
「高齢者による他責」とは、他責でヒステリックなネチネチ/ブツブツ言う嫌味な文句などです。分析のこの位置(きっかけ)を先行刺激といいます。
たとえば、疲れて休憩している家族に対して「怠けてばかりでどうしようもないねえ」とブツブツ言う、家族が楽しんでいる曲に対して「近ごろの歌謡曲はダメだねえ」と言うなどです。
もちろん、虐待する側Bの要因もあるのですが、急増している高齢者虐待には高齢化に伴い発生している強烈な先行刺激が発生しているケースが多く存在するだろうと推測します。
「耳が遠くて返事しない」とか「ちんぷんかんぷんなことを言う」なども先行刺激になりえます。
高齢者に悪意があるとか、悪意がないとかの観点ではなくて、家族Bが何に反応しているかの観点で分析します。
つまりそれは、精神力動アプローチを行動療法的に解釈すると、「Bによる虐待」のところを「怒りの解放ワーク」に置き換えるわけです。
さらに「怒りの解放ワーク」は一時的に虐待を避けるだけでなく、「高齢者による他責」以前から潜んでいたエネルギーも処理します。それにより、2次的な変化(繰り返されるパターンからの脱出)への道が開けてゆきます。
行動分析的な対処法は次のようになるでしょう。
高齢者側の対処法としては、ブツブツ文句を言うような他責発言をしないということになります。
家族であるBの対処法としては、B自身がこの反応パターンに気づくことです。ポイントは、
- 得られる結果が疑似解決になっていると認識すること
- 虐待以外の反応行動を見つけること
- 先行刺激を肯定的に理解すること
です。
先行刺激を肯定的に理解するというのは、次項の高齢者による他責の感情行動分析をして、それを自然現象として受け流すことです。
高齢者による他責の感情行動分析
次に高齢者側の感情行動分析をしてみましょう。
家族が疲れて休憩しているのを見て、プラゴミを出し忘れるだろうと不安になり、「怠けてばかりでどうしようもないねえ」と他責発言をするなどです。
ここで先行刺激となっている「不安刺激」というのは、「いつもと違う」とか「期待と違う」とか「危なっかしい」とかです。
そして「強い不安」というのが、不安刺激を見た瞬間にうわーっと圧倒してくるような強烈なものであることを想像しましょう。高齢者にとっては、それは大事なのです。その「えらいこっちゃ」感をイメージできるかが鍵です。
ここで難しいのは、「強い不安」と「高齢者による他責」が論理的に結びつかない場合があるということです。「施設に入れられちゃうかもしれない」という不安から「今日のご飯はちゃんと炊けてないじゃない」という言動が起きたりします。それが不安からきていることを察するには、認知行動的な視点だけでなく、人間性アプローチを取り入れる必要があるかと思います。
Bにとっての対処法は、先行刺激をなくすという努力が挙げられます。このパターンが起きるたびに、なにが高齢者を不安にさせたのかを考え、不安刺激を減らしてゆくということになります。
そこには、B自身の心の葛藤などが関与してくるでしょう。ご自身の心の成長の試練となることもあるでしょう。
高齢者自身にできることは、高齢化が進むと減ってゆくかもしれません。マインドフルに生きればよいのですが、これまでの生き方が出発点となりますので、解離した理想を言ってもしかたありません。
感情行動分析のコツ
さて、応用行動分析は幼児教育や療育などに用いられる手法です。人間を刺激に反応して行動する動物として捉えるものなので、自我が育った大人に使うのは難しい面があります。
高齢者やその家族(大人)に応用するには、人間性アプローチと併用することが必須だと思います。
人間性アプローチというのは、人の自由意志や尊厳を大切にするというもので、実験動物のように扱わないってことです。
分析は応用行動分析を使い、対処法は人間性アプローチで考えるという感じでしょうか。
ですが、分析も「こいつのどこがダメなのか」というダメ出し視点でやってしまうと、それ自体が虐待の反応パターンになってしまいます。
みたいにならないように。
円環的因果
Aと高齢者の間に円環的因果、悪循環のスパイラルが生じることに気づきます。
人はその円環の一部分を切り取ります。Aは「AがBに攻撃されたからAがBに反撃する」という部分を切り取り、Bは「BがAに攻撃されたからBはAに反撃する」という部分を切り取ります。この切り取りをパンクチュエーションといいます。
パンクチュエーションではなくて、円環全体を見ることの実践は必要でしょう。
攻撃の種類が「相手に罪悪感を持たせようとする」というものであれば、反撃として連鎖しやすいという観点も役に立つかもしれません。
高齢者が円環全体をみる力を持っているなら、それを思い出してもらうとよいでしょう。あるいは、既に高齢者はそれをAに教えようとしているかもしれません。
しかし、高齢者にその役割を大きく負わせるのは酷というものです。若いAが円環全体を捉える実践を主に引き受ける必要があるのではないでしょうか。
「私は被害者だ」という自分の観念に悩む人に対して、「被害者という立場をとるな」とアドバイスされることは多いかと思います。それは「苦しむな」というような二次被害的になります。
被害者ポジションが不幸の要となっていることは多いでしょう。しかし、「自分も相手も円環的因果の被害者」ということなら、ちょっといいかもしれません。
気づくべきこと
とくにAの立場で、こんなことに気づいておくとよいように思います。
レッスン1
ひとつは、相手が自分を責めるとき、罪悪感をプレゼントされようとしていて、自分は罪悪感を怖れて反撃したくなるのだということ。
つまり、罪悪感を受け取るか、反撃するかの二者択一になっている。反撃することなく、罪悪感を受け取らないというのができれば円環から逃れることができます。
それは、罪悪感を受け取らないということと、反撃をすることの、区別ができるようになるというレッスンです。
「罪悪感を受け取らないぞ」と独り言を言ってみましょう。相手に言ってはいけません。相手に向かって言うのは「あんたは私に罪悪感を負わせようとしている。そのことに気づけ」と相手を変えようとして反撃しているのです。
罪悪感を受け取らないのは消化ですが、罪悪感を受け取らないために相手に何かを言うのは反撃です。
たいていの人はこれらの区別ができないので、心理セラピストが適切に言葉をアレンジしながらワークを進めます。
心理セラピストを雇わずに、自分でできるならしめたものです。
レッスン2
もうひとつは、自分が相手を責める(または攻撃、無視する)とき、それは相手を変えようとしているのだということ。
それが功を奏するかどうか考えろとアドバイスされそうですが、それを考えることができるのは、相手を変えようとしている自分の気持ちをしっかり捉えた後だけです。