たとえば、買ったばかりのモノを傷つけてしまったとか、高価な本を雨に濡らしてしまったとか、やってしまうととても傷つく人へ。
傷ついていることすら気づいていない場合もあります。
まず気づいてみよう
「自分を責めてしまう」という性質に苦しむ人もいます。アダルトチルドレンにもあるようです。
そもそも自分を責めていることに気づかないで、後悔をするという形になっているわけです。
ですから、「後悔」に苦しむなら、まずはそれは自分を責めているということに気づくとよいかもしれません。
その悩みを解いてゆくプロセスの例を書いてみます。ブログ記事ではインタラクティブにはできませんので、ご参考程度になりますが。
※自分と向き合うワークなので、精神状態が不安定でないことを前提としています。精神疾患で通院中の方もやめておいた方がよいでしょう。
ステップ1:実害の評価と対価の評価
まずは、少しだけ時間をとって、実害を評価してみましょう。それはどれほど致命的なことでしょうか?
ここでは「些細なことで後悔してしまう」というお悩みを扱っているので、それが些細なことであることをひとまず具体的に理解します。
金銭的な損害なら、「それも経費のうち」といった具合です。
モノが傷ついたなら、「それでも使える」「いずれ買い替えるものだから」など。
そして、できれば得られた対価も。たとえば「いい勉強になった、授業料だ」など。そして、その得られた対価を活かすには何をすべきかを考えます。
それで苦しくなくなればそれでよしです。
ですが、自分を責めやすい人は、もしかしたら「そうは言っても・・・・苦しい」となるかと思います。このステップはそれでよいのです。
それこそが自分を責めているということでしょう。客観的な事実が責めているのではなく、自分が責めているのだということ、それは自分の心の性質なのだと自覚できれば、このステップの大きな成果です。
そして、自分を責めているということを赦します。自分を責めていることを責めるのではなくて、赦す。これも大事な一歩になります。
なかなかプロフェッショナルな助言でしょ?
ステップ2:成長の痛みと共にいる
実害はたいしたことない、得られたものもあると確認して、自分を責めるのをやめようとしたら、どんな気持ちになりますか?
自分を責めるのをやめるということに痛みを感じませんか?
※そうでなければ、無理に痛みを感じる必要はありません。
痛みを感じるなら、それを大切にしてみましょう。理由の分析はしなくてよいです。そんな痛みを持っている自分を赦すのです。
自分を責めるのは辛いのに、責めるのを止めることには別の痛みがある。
それはたとえば、「ずっと後悔していたい」、「この後悔を忘れたくない」みたいな感じかもしれません。
もし過去の原体験に思い当たっても、過去の分析に行かないでください。今回の些細なことで感じていることをちゃんと感じましょう。今回のことはその機会として訪れたのかもしれませんから。
痛みを感じていると、それがしっかり意識できるようになります。身体のどのあたりに、どんな感じで表現されていますか? 言葉で描写してみてください。
少し痛みが消化されるかもしれません。
すくなくとも、気づいてあげてよかったと思えたらよいと思います。よかったと思えなければ、無理に続ける必要はないでしょう。
ステップ3:ポジションチェンジ
では後悔していることをポーズで表してみてください。たとえば頭をかかえるとかでしょうか。
うまくできた感じがしたら、そこから幽体離脱したつもりで移動して、そのポーズのあなた自身を第三者視点で眺めてみてください。
痛みを取り除くために、声をかけてみましょう。
どうしていいか分からないという人もいるでしょう。そうであれば、なにもしてあげれないけど、なんとか助けたいという気持ちを感じてください。
「こんなやつ助けなくていい」みたいな冷たい感じになるとしたら、前のステップが上手くいっていない可能性があります。そうなったら、気楽に中断するのがよいかと思います。ちょっぴり葛藤を残しながら。
どんなふうに声をかけてあげればよいか分からないとしたら、そのことこそがあなたの悩みの正体なのかもしれません。
第三者視点から自分に戻って、気持ちを落ち着けて、ワークを終了してください。